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 ラジコンの送受信機や、IoTデバイス、有機ELディスプレイを開発・製造する「双葉電子工業」が、携帯電話キャリアとの産業用ドローン共同開発というイマドキなニュースの陰で、フタバのルーツともいえる秋葉原の岩本町に開いていたホビーラジコンショップの解散閉店を発表しました。

 「双葉電子工業」は1948年に設立、1961年には秋葉原万世橋に店舗を開業、そのころ、ほとんどが海外製品だったホビーラジコンを日本で広めるベースを作り、その後、店舗事業として「フタバ産業」を1972年に独立させました。その頃のアキバは今と異なり「秋葉原電気街」は「ラジオセンター」を代表とする、家電などの電気製品はもとより、電子部品などを売る個人商店が乱立、双葉電子工業がラジコンショップを開業するための”必然”が揃っていた街でした。

 筆者は1970年生まれ。たくさんの思い出を残した名だたるアキバのラジコンショップが誕生したのと同じくらいに生まれたのです。1980年代の秋葉原は、LAOXやサトームセン、石丸電気といったメインどころに交じって、アマチュア無線関連商品とラジコンが同じフロアに並ぶ「角田エックスワン」や飛行機関連パーツが豊富な「アサミ」、バギーチャンピオンの尾上選手がいた、ヨコモのターボパワーバッテリーをバンバン売ってた「ジョイプラザ」が良い距離を保って中央通りを挟んで佇み、時に歩行者天国の路上でラジコン大会が行われるほど賑わいを見せていました。

 初めてのホビーラジコンをお年玉握りしめて買いに行った中1の冬、そんな昔でもやっぱり、ラジコンパーツやネジ類は”どこでも入手できる代物ではなく、インターネットが普及していなかった時代なので、電車に乗ってアキバへ出ないと買えないものばかり。しかし、タミヤの製品だけは、プラモデルつながりで一部、近所の模型屋さんで入手することが出来ていました。

「おもちゃのキリン」とは、地元のJR高架下にあった2階建てのホビーショップです。1階がぬいぐるみや幼児向け玩具がメインの売り場、階段を上っての2階が、豊富なプラモデルと少々のラジコンパーツを扱う売り場で、中学時代はいつもそこで屯(たむろ)していました。1978年頃のガンプラブームの時には、早朝から長蛇の列ができるような店舗でしたが、駅前に建て替わったイトーヨーカドーにおもちゃ売り場が出来ると、売り上げが逓減し、デジタルゲームブームや携帯電話やスマホの普及に流されるように、2000年代初頭にその幕を閉じました。

その頃に乱立を始めたゲームソフト/ハードを売るショップも、TSUTAYAやGEOの台頭や、家電量販店の進出により衰退、少年から大人までのホビーは劇的に多様化していきました。

秋葉原は、ジョイプラザ、エックスワン、アサミのあとを追うように、洛成モデルやチャンプなどもどんどん撤退していきました。もはやアキバは電気街ではないですね。そして今回のフタバの閉店。まだ、タムタムやスーパーラジコンが残っていますが、ネットで買えないものはないという時代。固定化多店舗の優位性は既に失われています。

アキバのフタバは来年3月で終わります。60年の長きにわたり、ラジコン少年の夢を支えてくれた世界のFUTABAに敬意を表するとともに、この素晴らしいホビーがもっと盛り上がればいいのにと思わずにはいられません。

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今、「餃子」をググるとやたらうるさい記事ばかりが目立ちます。例の騒動のことです。

(Web文中より引用)
そのときの内容は“尾道の数字から始まる名前の某餃子店。美味しそうだな、と思って三名で来店。私はしてたけど、1人マスクしてなく、来店したらマスク着用でないと入店できない、と言われ(中略)「ウチはマスクしてないと入店できないんです」の一点張りで話が先に進まない”というものだった。
(引用終わり。引用元:https://news.nicovideo.jp/watch/nw8239419)


美味しそうだと来店した店の店主に、最後は「めんどくせえから帰れ」とも言われたそうですが真意は分かりません。しかしながら、そんな話の顛末はどうでもよいことです。

このコロナ禍特有の話題としては「入店の際にマスク着用を義務付ける」というものがありますが、マスク着用を強いることも、マスクを着けていない来客を拒むことも、法的には何の問題もないし「いつまでつけてれば良いんだ?」というのも単なる屁理屈でしかない。この話は単に、お客様の質問に対してめんどくさがって説明をしない店主と、大人げないお客の話というだけです。


そんな(子どもの喧嘩のような)話ですから、外野はただ面白がるだけなのですが、その話題をとある人がFaceBookで共有した途端、あわや一触即発の事態にということが起こりました。
大多数の方がコメントで「大人げないねー」とか「別の言い方があったんじゃないの?」程度でなごんでいたのですが、とある方が投稿者に対し

「ところで、マスクの効果をどれだけ信じていますか?」

と切り込んできたのです。

前述の騒動には一切関係ない話題です。投稿者はもちろん「関係ないよね?」と返しました。すると、

「事の発端はマスク非着用にあるのに、マスクが関係ない理由を説明しろ」

と返して来たのです。これはもはや極右です。
しかも、よく見たら、自身のfacebook投稿でも、ものすごく危険なコメントを書き込んで来ていた方でした。(その後すぐにブロックしました)


当人は、マスクの是非も含めて、この騒動どちらが悪いか白黒はっきりさせたかったらしいのです。
もちろん、その当人目線でどちらが悪いかはっきりしたところで(当人以外)何の解決にもならないのですが、おそらく「マスク原理主義」を掲げてマウントを取りたかったのだと思います。そんな、自分の都合や主義を人に押し付けたがる人が世の中にはたくさんいて、SNSで主張し、勝手に紛争が始まるような世の中になってしまいました。これまではそんな主張をまき散らすようなこともなかったような人々が、SNSという道具の間違った使い方で、自己満足を得ているのだと思います。


ところで、その極右の方へ

「ホリ●モンはマスクをして店主とひと悶着あったみたいですよ」

と返信したら

「あ、じゃあ、悪いのは店ですね」

だとさ。

その方のFaceBookページでは、この話題のTVキャスターの発言に対して「ちゃんと調べてから発言しろよ」と怒号のコメントを描いていた人なんですけど。恐ろしい(笑。



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ノンアルビール論争が再燃「ペット入り透明」なら職場OK?

(ニュースより引用)
サントリービールが、「職場でも気兼ねなく」をテーマに開発したノンアルコールビールテイスト飲料を発売する。ペットボトル容器入りで、小麦色ではなく「無色透明」になっている。
やはりというべきか、この新商品をめぐってインターネット上では、オフィスでのノンアルコールビールの「是非」をめぐる議論が再燃。「何が問題なの?」というアリ派と、「ありえない」というナシ派が、互いの意見を熱くぶつけあっているのだ。
(飲用終わり)

ニュースのソース:
https://www.j-cast.com/2018/05/11328399.html


無色透明のノンアルコール飲料についてどうこう言う前に、そもそも「ノンアルコール飲料」と呼ばれる類(たぐい)の”清涼飲料水”についておさらいしておかなければなりません。
「ノンアルコール飲料が”清涼飲料水”だと?」と思われる方もいると思いますが、日本の法律では、アルコール含有量1%未満であれば清涼飲料水の扱いで、未成年でも飲むことが法的に許されています。ビールテイスト飲料にばかりが注目されがちですが、あの「甘酒」は、アルコール含有量が8%もある”酒粕”を原料とした飲料で、出来上がりでも1%程度のアルコールが残っている(実際には熱でアルコール分が飛んでいるので殆どアルコールの味は感じない)らしいのです。つまりは、ビールテイストのノンアル製品、チューハイテイストのノンアル製品、他すべては法律上も「清涼飲料水」であって、未成年が飲んでも違法ではありません。
しかしながら、アルコールが0.5%であっても、当初の日本政府の方針は「未成年には販売しない」指導がメーカーになされていました。(甘酒はなぜOK?という話は別として)…真意は不明ですが、未成年(それも低年齢)者が大量に摂取した場合の健康への懸念のほかに、ホンモノと区別がつきにくいという理由からでは無いでしょうか?
このような「ダブルスタンダード」を作るのは日本政府の昔からの悪い癖ですが、そもそもが、古くからの日本人の性質というか文化というか、そのようなところから冒頭の議論が形成されているような気がしてなりません。

「職場でアルコールを飲むことは・・・・」という話になっている時点で「?」が付いてしまいますね。本来なら「仕事中にアルコールを・・・・」のはずです。それ以前に、なぜ「アルコールが(仕事中に)ダメ」なのかも議論せずに。仕事のために飲んでいる人もいるのに。
これは「お酒を飲む」ことが「仕事から離脱すること」と同義で語られているからに他なりません。だいたい合ってると思いますが、これは昨今の「在宅ワークは仕事がはかどらない」というのと同じような気がします。
緊急事態宣言後、大々的に「外出自粛」や「在宅ワークの強い推奨」を謳われてきたにも関わらず、相変わらず理由をつけて出社し続ける(出社が多い)社員を見たことがあると思いますが、そのような人たちにとっては「出社」そのものが「仕事」になっているので、「仕事中」に、他の誰かが「酒を飲んでいる」ことは許せないわけです。しかし組織トップの大号令があればそのタガが簡単に外れてしまいます。納会が良い例です。その人にとっても「職場での飲酒」が絶対NGであるわけではなく「自分が仕事(出社)している」のに「誰かが(ノンアルでも)酒を飲んでいる」ことを許せないのです。

これで結論が出ました。ノンアルコール飲料へのバッシングは、自分が(どんな環境下であれ)しっかりと仕事をこなしてると断言できない人の「責任転嫁」です。(笑

ともあれ、仕事をきっちりと片づけてから飲んだほうがおいしいに決まってます。

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2020年も2月の下旬、春の兆しが見え始めたころ、筆者が所属する会社スキー部メンバーの一人が、メンバーのグループLINEにこう投げました。

「こういう時は「人の集まる所」に参加するのは社会人としてどうかと思いますので不参加でお願いします。」

アルペンスキー競技という「割と高尚な」スポーツの趣味を持つ仲間のSNSへの投稿としては、少々高圧的なコメントにも思えましたが、彼の発言は至極真っ当でもありました。

毎シーズンの恒例で、社会人競技スキーチーム(実業団ではありません)とそのメンバーが数多く集う”ガチ”競技イベントの開催をめぐり、今年ばかりはその議論が大いに揺れていたようです。日本が令和になって初めての世界的な感染症の蔓延で、世界各国が独自に対応策を打ち出すなかで日本はずいぶんと中途半端な政府としての指示を出し、もはや行政レベルではなく、事業者や地方自治体や団体というレベルで独自判断を迫られていたからです。

こうなると、企業体力の大きい…言うなれば、大きな組織を抱え内外に影響力の大きい企業や団体ほど慎重姿勢にならざるを得ず、よりセンシティブな問題と捉えるようになります。その傾向は如実に表れていました。あたりまえのことですが、動員される人の数や、準備期間の長さ、直前にキャンセルした場合の無駄になるヒトモノカネの大きさによって判断が分かれたのです。

これは、当該の競技スキー大会の運営主体の中にも現れていたようです。
日本アルペンスキー界における本丸とも言える「全日本スキー連盟」は早々に3月22日(3連休の最終日)までのあらゆる大会、イベントの中止を告知しましたが、それでも当該運営は決め切れていなかったようです。理由は簡単で、前述の通り、クラブチームや会社組織そのものの大小で意見が異なったからでした。また、大会を取りやめにした時の、毎年のように御世話になっているスキー場や宿泊施設への利益供与の問題もありました。大会規模を縮小したり、宿泊先を分散させたりと言った回避策は、例年のやり方からしてとても採り辛かったのだろうと思います。

もしここで「参加は会社(チーム毎)の判断に委ねる」となったらどうだったでしょうか?チームの中では個人の都合によって参加不参加を調整するだけの話ですが。

おそらく、不参加とするチームは居なかったのだろうと思います。だからこそ、大会中止という英断をせざるを得なかったのだと思いますが、世界を取り巻く状況を考えれば、答えは初めから見えていたと思います。

その直後「大会バーンを利用したレーシングキャンプ」の参加者募集が始りました。
よく言えば、突然の大会中止に悩む場所や宿への不利益を減らすための回避策であうが、悪く言えば、運営主体が大会をやめたという体裁をとりつつ、万が一に備えて逃げ道を作ったとも言えます。運営主体は参加チーム各社から代表を募り、開催の是非などを決める団体です。大会中止を大義名分としながら、そこに集まる参加者は大会参加予定者となるわけで、万が一のことがあれば、犯人探しが始まることは容易に想像がつきます。

かつてのアメフト悪質タックル問題ではないですが、問題が表沙汰になるまで誰しも異論を唱えないという、旧態依然な体育会系的体質、あるいは、そのような世界で過ごしてきた人たちの特質的な部分もあるかも知れません。イベントを行うにも止めるにも計り知れない準備や労力が必要なのもよく理解できますが、せめて非常事態レベルのこの時くらいは、正義を振りかざしてもいいような気がします。


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「年賀状終活」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191214-00014886-toushin-life

今年もそろそろやらないと、と思った矢先に、叔母(実父の姉)が亡くなりました。どこへでも出かける元気な叔母でしたが、脚を悪くしてから衰えが急速に進み、92年の人生に幕を閉じました。

これにより、今年の年賀状は無しに。そんな時にこの記事を見つけました。

自分も、年賀状のほかに交流のある相手が、出してる年賀状全数の3分の1くらいになっており、残りの3分の2は「ただ出してるだけ」になってしまってます。既に学校の同級生との年賀状はおしまい(公私ともに交流のある人を除く)で、社会人になってから交わすようになった人も(Facebook等のSNSへの誘導を促していても)年賀状以外はさっぱりという人もいます。

年賀状の終了宣言としての手紙に対し、

「寂しい気持ちになるので、せめて寒中見舞いとして送ってほしい」

というのが最も真っ当な意見のように思えます。ただ、これは、年賀状だけに留まらず、日ごろからコミュニケーションのある人たちが初めて感じるものではないかと思います。ほかの意見では、

「正月早々、縁切り状をもらうのは不快」
「フェードアウトのほうがいい」

というのがあったようですが、前者の場合は、日ごろから交流も殆どなく、自ら挨拶にもいかないような人が、上から目線で言っているようにしか読めません。一方で後者は、自分の気持ちが出ているようにも感じます。

「驚いたことに、「年賀状を今年いっぱいでやめたい人」向けの文例集が、年賀状の外注業者のサイトに載っていたりもします。」には少々驚きだが、これも時代の流れなんでしょうね。

日本における年賀状の歴史は古く、起源ははっきりしないが、平安時代までさかのぼる独特の風習だそうです。ただこれも、「基本は年始のあいさつ回り」の風習に先にある「遠方でなかなか挨拶に行けない人への手紙」として定着を開始しているようです。それが戦後、一般化し、1949年(昭和24年)に「お年玉付き年賀はがき」が初めて登場します。筆者の小学生や中学生のころは年賀状製作は当たり前の年末イベントでした。

しかしこれがミレニアム(2000年)のころを境に、状況が一変します。SNSです。郵便局はこのSNSの普及を第一に「年賀状(を筆頭とした手紙)」の衰退を言っていますが、それ以上に、情報セキュリティ(というか個人情報)の厳格化の影響が大きいと思います。昔は卒業アルバムに卒業生の住所が書かれるのが当たり前だった時代がありますが、今はもうそんな時代じゃありません。

SNSへの投稿や年始あいさつは、平安時代くらいに起こった風習の現代版であって、時代が変わっただけの話かもしれません。そこにきて「年賀状終活」は、一種のパラダイムシフトの副産物と言えるのではないでしょうか。

「えっ?セカオワ知らないんですか?」と、会社の某同僚の言葉。
「セカオワは知ってるけど、曲のことはよくわかんない。」
「曲を知らないってのは、セカオワを知らないのと同じですよ。」

特に腹は立たなかったが、確かにすすんで聴いたこともなかった。
というか、FMラジオでその存在を耳にした途端、「世界の終わり」(漢字で書くとやばいな)??…どこかの宗教団体か、サイコ集団、もしくはテロリストだろうと思った。歌も変な歌を歌ってる。それにしても最近、変わったグループ名が多いよな。って。

まあ、変なグループ名と言えば、「スキマスイッチ」「スネオヘアー」「ゲス(以下略)」などなど。ずっと昔になってしまったが、「聖飢魔II」というバンド名が至極妥当に感じられる。

で、YOUTUBEで聞かされた"セカオワ"の曲のなかで、「dragon night」の英語バージョンがある。PVの中身はさておいて、全然違和感がない曲。違和感がない、と言うのは、最初から英語の歌詞で作られたような、と言う意味。後から通常の日本語版を聴いたけど、英語版の方がはるかに良いと思った。

かと言って、CD買ってまで聞きたいと言う曲でもない。
昨今は、CDの全曲を試聴できる環境がお店にもネットにも整っていて、「他にどんな曲が入ってるのか楽しみ」で買うことが無くなってしまった。試聴してみて、1曲でも気に入らない曲があると、CDそのものを買う意欲が削がれてしまう感覚だ。

逆のこともある。
全くのノーマークだったアーティストのアルバムリリースをYOUTUBEで知り、興味をそそられてCD購入に至るケースもある。
結局は、映像の良し悪しで印象が決まってしまう感もある。

グループ名もまた然りだが…。

筆者は、情報通信関連の災害支援活動のため、2016年4月15日~25日の11日間、福岡県と熊本県におりました。所属する会社の「初動対応班」の一員として、14日の震度7を受けて行動開始したものの、久留米市のホテルで16日未明の「本震」に遭いました。15日に避難所となっている小学校に訪問したときは、一段落した感じを受けたものの、本震の後に駆け付けた時は、避難者は10倍に膨れ上がり、市内も変わり果てていました。

この投稿は自身の体験と、活動期間の終盤に出会った一人の初老の女性とのコミュニケーションの中で感じたことを、facebookに投稿したものですが、ぜひ読んでもらいたく、ここに転載します。


(以下転載)
緊急地震速報の良し悪し
JR博多駅の「博多デイトス」で、ワインで臭み抜きをしている唯一の商品、というフレコミのおいしい明太子に出会った。いろいろ説明を受け、いろいろ織り交ぜて宅急便で送ってもらうことにしたのだが、売り子のおばちゃんと今回の震災について少し立ち話をした。
「緊急地震速報は良し悪しだ」と言う。博多は今回の震源からは少し外れているが、それでもかなり揺れたという。地震情報を見れば明白だが、昼も夜もけたたましく鳴り響く緊急地震速報の、その音を聞くだけで怖くなってしまうので、そのおばちゃんはとうとう携帯電話の電源を切ってしまったそうだ。
地震波というものがあり、スピードが速く、先に到達するP波、そして実際の揺れを伴うS波がある。緊急地震速報は、各地の地震波センサーが検知するP波とS波の時間差などを解析しておおよその震源と携帯電話をある場所の震度予測を行い、概ね震度4以上となる場所にある携帯電話に報知する仕組みになっている。
この仕組みがキモでもあり、ガンでもある。震源地により近い場所にいる人にとっては、場合によっては緊急地震速報が後になるケースがあったり、強い余震が続く場合は鳴りっぱなしになってしまう。ましてや、4月16日深夜に本震が発生し、その後夜が明けるまでの間に何度あの音を聞いたか。
「条件反射」とは「パブロフの犬」で有名だが、本来動物の先天的な生理反応では無い、繰り返される体験などにより身についてしまうものを指す。今回の震災では「真夜中に」「強い揺れ」と共に緊急地震速報の「あの音」を大音量で聞かされるという体験がワンセットで繰り返されることで、そのいずれかの体験の一つが、例えば「真夜中」の闇に遭遇するだけで恐怖感を得るようになってしまったり、突然鳴り響く「音」に過敏に反応してしまったりするようになる。
これを近年では「PTSD」と言われるようになった。
PTSD:Post Traumatic Stress Disorder(心的外傷後ストレス障害)である。大なり小なりの余震が無限に続く被災地では、もはや緊急地震速報なぞ無用な感もある。先のおばちゃんのリアル体験はまさにそれを物語っている。かくいう私も、久留米のホテルで本震を食らっているので、更に同情の感が強い。
とは言うものの、震源から離れた場所においては、緊急地震速報のアラームは身の安全を確保するための強力なツールである事に間違いは無いと思う。ただ、一度、恐怖体験をした人々にとっては、大した揺れでも無いのに聞かされるあ「あの音」は、恐怖以外の何者でもない。
TVのワイドショー等で、こういう議論が全くないのはなぜだろう?
携帯電話端末ごとに、この速報を受けるか否かの選択(設定)が出来るようになっているのだが、必要に応じて止める等、その方法をTVで説明してもいいようなものだと思うが。
この問題は、大いに議論すべき。

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内定式控えても迷う学生心理 「本当にこの会社でいいのか?」

~(前略)入社を決めたときの決断が曖昧であれば、「別の企業に行っておけば…」「こんなはずじゃなかった…」という考えになりかねない。それでは、どうやって決断するのが良いのだろうか(後略)~

10月2日(水)配信 Yahoo NEWS SankeiBizより引用

自分の学生時代とは勿論、大きく時代も異なります。

あのころ(1990年前後)はバブル崩壊直前で、我々技術系専攻の学生の求人倍率は相変わらず低く無く、とりわけ自分の専攻学科のクラスは求人率5倍(要は1人当たり5社からの求人)と言われていた時代でした。

今は「氷河期」と呼ばれた時期を越え、景気回復に兆しを窺えるような時代となっていますが、それよりなにより、20年前と大きく異なるのは「情報量」と「情報を得る手段の間便化」・・・これに尽きます。


私の学生時代にも「就職指導室」なるものはありましたが、ひと部屋丸ごとフラットファイルに包まれた資料の山で、その中には先輩たちが就職し、体験したレポートの蓄積が収まっていました。

当時も(技術系ですから)PCは学校に行けばたくさんありました。しかし、用途はプログラミングや設計製図や工作機械の制御用で、インターネットが全く普及してていなかったということもあって、PCから就職のための情報を得るのは不可能でした…。

そもそもアルバイトなんかは知人の伝手や新聞広告で探す時代。良いバイトが見つかれば就職までそこに居座り、卒業と同時に店長から「これでワイシャツでも買え」とお祝い金をもらったりしてました。(余談)


情報量や情報のやり取りの方法が変わったのは、何も学生サイドだけではありません。相互コミュニケーションツールの1つとなったインターネットを駆使して、普通なら内定式まで顔を合わさない(将来の)同僚の顔まで分かる時代になってしまいました。

そこまで進化しているのに、冒頭のニュースのように「決められない」学生が居るそう。
ましてや、複数内定をもらっている学生が「決められない」とは何と贅沢な事でしょう。上半期を過ぎても「決まらない(内定をもらえてない)」学生も居るというのに・・・。

しかし逆に言えば、情報量が多いあまりに、余計な部分まで見えてしまって決めづらくなっている一面のあるのでしょうか?

学生も学校のスタンスも、我々の就職時代とは違うのでしょう。


私の時代は「企業選び」というよりも「就職あっせん」というイメージでした。就職指導室で先生と相談して、学生のアピールポイントや能力の見極めを行い、先方企業の求人予定数と合わせて「絶対に受かる企業」をそれぞれ選んでいたという記憶があります。もちろん落選もありますが、技術系学校は日本産業の屋台骨的な役割をも担っていたので、そうだったのだろうと思います。

私は、機械工学科卒ですが、いろいろあって通信業界に就職しました。もちろん、自動車業界も視野には入れてましたが。

自動車業界行きを踏みとどまった理由はさておいて、通信業界のイチ企業(現在は2度の転職を経てあの"お父さん"の会社)の就職を希望したのは、ちゃんとした理由がありました。

もちろん水準として決して悪くない額面の初任給や、勤務地や勤務体系など自分に納得が行く(というか経験がないので分からない、というのが正直なところだが)内容ではありました。しかし、それ以上に、その会社がやってきたことがすごく興味深かったのでした。具体的には、1988年5月に日本テレビが放映した、エベレスト山頂からの衛星生中継の通信インフラ構築の一環として、ベースキャンプである中国の土地に衛星地球(地上)局を建設した会社だったのです。

学生時代、その番組に感銘を受け、その番組(プロジェクト)を成功させるために働いた会社の、そんな仕事の場に自分も身を置きたい・・・(電気)通信によって「つなぐ・つながる」ことで人々に感動を与える仕事があるなら、そんな仕事を通じて自身も充実を得たい。入社面接で当時の社長の前でその想いを解き放ち「君は現場に出たいんだな?現場はキツいぞ!」と社長に問われ「はい!がんばります!宜しくお願いします!」と答えた事を憶えています。

まあ、「現場に出る」という目標の達成後、自身にうまれた希望が叶えられず、入社11年目で転職を決めてしまったのですが・・・。

その会社が決まらなかったら、次の会社に向けてどんなモチベーションで臨もうか・・・あのときは考えていませんでした。


希望する企業に臨み、一発で決めてしまう学生は、こんな話とにたような想いや気概があるのだと思います。逆にいくつも受ける人は「滑り止め」的な意味合いもあるのでしょうけど、「滑り止め」的な企業なら、本命に受かったあと、簡単に切り離せるはずだと思うのですが…。

それが「決められない」というのは、その企業にどっぷりと浸かりたくない、就職してもその会社に染まりたくない「軽い存在」でいたい、そんな気持ちが心のどこかにあるのではないでしょうか?

しかし、「どっぷり浸かる」と「染まる」は同義語ではありません。周りを、企業そのものを自分の色にしてしまう「大物」も居るわけです。

ましてや、そういう気持ちで決めた会社なら、転職を考える時の決め手も薄いものになってしまうのでしょうね…。


いつの日か、生まれて初めて就職した会社を去る日が来ても、最初にその会社を選んだことに後悔しないためには何が必要か?・・・やっぱり、昔から言う「ビジョン」だと思います。

一旦は家裁に突き出されたが「刑事性あり」との判断から検察に「逆送」された例の学生が当時、大阪のUSJで迷惑行為を繰り返し、場内スタッフに戒められた際「はい。確信犯です。」と言ったそうだが、これが本来の正しい意味を知ってて口から出ていたとしたら、迷惑行為というよりむしろ、テロ行為といっても過言ではないだろう。

例の学生はUSJで迷惑行為に及んだのち、自信のブログで「“格好だけなら誰にでもできる”と。ならば“普通じゃないことをして格好だけじゃないとこを見せる”。これが信念。」と書いたそうだ。
そしてその信念のもと、人を驚かせたり、時には怖がらせたりを繰り返し、行為に及ぶたびブログにそれを掲載する。

最近では「悪い事を悪いと解っていながら実際に行動してしまう人」の事も「確信犯」と言う場合があるらしいが、本来の意味は「道徳的、宗教的あるいは政治的な確信に基づいてなされる犯罪のこと」であって、自分は正しく、周囲や世間が間違っていると「確信」して行動を起こすものである。
だから、本人が行った(迷惑)行為が、自分の正当性を主張するために行った行為であり、自ら「確信犯」と言うのであれば、それはテロリストと何ら変わらぬ原理主義の持ち主であり、ブログ等のWebを通じての情報開示は「犯行声明」と同様のものである。

他の、ステーキレストランを廃業に追い込んだ写メのツイートをはじめとする、いわゆる「迷惑写真」の投稿者も、見方を変えればテロリストと同じである。

店長や社員の見ていないところで衛生上好ましくない行為の画像を撮り、それをWebに流すことで拡散され、店舗や企業イメージそのもののダウンとなる。
実際に店舗閉鎖に追い込む事例が出来てしまったことで、模倣犯を誘発するかもしれない。あるいは、予めそのような画像を準備しておいて、時給アップの為の「脅迫材料」とすることも考えられる。

しかし、これらの様な行為に及んでいるアルバイト学生等は、そこまで賢くないし度胸も無いだろう。
皆、口を揃えて「ここまでコトが大きくなるとは思って無かった」と言っている。
つまり、単に無知なのである。頭が悪いのだが、悪い事を悪いと解ってやっていることには変わりない。それを単に「面白いから」という理由で、このような酷い行為に及んでしまっている。まさに「確信犯」という言葉の誤用である。


Webの使用方法も知らない。
LINEやTwitterは「あくまで連絡の手段」として使っているらしい。
LINEはある程度の秘匿性(それもごくわずかな)があり、そう簡単に会話が漏れるわけでは無いものの、Twitterに至っては完全なる「つぶやきのブロードキャストツール」である。公衆電話ボックスの中のトイレで用を足しているような丸見え感だ。

「自身のツイートはフォロアーにしか読めない」と勘違いしている利用者も多いが、そもそも、どこの馬の骨とも判らぬ利用者が勝手にフォローしているのだから、どんなツイートもどれだけ拡散するかは計り知れない。そういう事すら理解出来ていない。これが「Webの誤用」である。


とあるブログで「昔からこのような行為そのものは有ったが、Twitter等の便利なツールが広く普及し、発信し易くなったため、急速に増えたように見える」とした文書を出している方も居られるが、ブロードキャストしやすくなったからと言ってブロードキャストしていいものと悪いものがある。

しかし行為者は、誰もが「迷惑」「不快」「危険」と思うような行為に及び、更にWebで拡散する。しかし、本人にとってはそういう意識は無く、「面白い」「目立つ」というポジティブな理由を付け、正当な行為と信じているのではないだろうか。・・・だとしたら、やっぱり「確信犯」である。


防止する手立てはあるのだろうか?

恐らくは「無い」と思われる。何故なら、これらの一大ニュースとなるような迷惑行為も、氷山の一角に過ぎないからだ。

これは「投稿されない迷惑行為」がまだまだ沢山ある、という意味の多少も含んではいるが、他のお客さんが乗っているアトラクションで危険行為を行った学生も「常習犯」だったし、ハンバーガーのバンズを床に敷きつめて寝そべったり、アイスの販売ケースの中に入ったり、冷凍ソーセージをくわえたりという「食べ物を粗末に扱う」「不衛生な事を行う」「他のお客さんが買うかも知れない商品を粗雑に扱う」ような行為は、思いつきで行動に出るものでは無く、幼少のころから長きにわたり積み重ねられたマインドから来るものだからだ。

冷凍庫にストックされた食材をくわえるなんて言う行為は、親にちゃんとしつけられた子供なら絶対にやらないだろう。あるいは、小さい頃に怒られたような経験があれば、それを行わないだろう。

予備軍もたくさんいるのでは?と思う。今回の一連のニュースを受けて、そのような予備軍のほとんどは「むやみやたらと投稿しちゃまずいよな」という、本来とは異なる部分での戒めを感じているに違いない。だから繰り返される。


バカは死んでも治らない。

日本の標準時「2時間早く」 都知事が提案、政府検討へ

 東京都の猪瀬直樹知事は、22日の政府の産業競争力会議で、日本の「標準時」を2時間早めることを提案する。東京の金融市場が始まる時間を世界で最も早くすることで、金融機関の拠点を日本に置く動きを促す狙いだ。政府は6月にまとめる成長戦略に盛り込むことを含めて検討に入る。

 日本の標準時は1886(明治19)年に定めて以来、変更していない。しかし、海外ではシンガポールが1982年に標準時を早めるなど、政府の判断により標準時を変えた例はある。

 東京の標準時が2時間早まれば、外国為替市場などが1日のうちで世界で最初に開くことになり、世界の金融市場で東京の存在感が高まるという。

(朝日新聞デジタル 5月22日(水)11時配信のニュースより抜粋)



・・・さて、面白いニュースが飛び込んできました。

世間の反応は様々ですが、デメリットや自己都合をぼやく人ばかりが目立ち、メリットを言う人が少ないのが逆に面白いです。
ほとんどの人は、標準時が2時間早まる=時計が2時間遅くなると勘違いしています。「朝4時ごろに日の出?」や「スケジュールを2時間早めて7時始業とかにするんじゃダメなのか?」というツイートが山ほど。

しかし実際は逆です。「標準時」という言葉を理解していない人が多いようで、そもそもの「世界標準時」があって、それに対する時差が各国の標準時となっているのです。

ニュースにある、金融関連の影響と言うと、2時間早まったからといってアメリカのNYSEの開業時間とかぶる訳でもないのですが、確かに、シンガのSGXより先に開くということを勘案すると、猪瀬副知事の言う効果が確かに出るのかもしれません。

私も金融には疎いし、ましてやお金は使ってなんぼだと思っているので、自分視点の生活や消費活動に目を向けて、この「2時間問題」を考察してみました。



標準時を2時間早めるという事は、現在、日本標準時(明石天文台)と世界標準時(グリニッジ天文台)との時差が9時間(日本が早い)なので、それがさらに2時間早くなるということで、時差が11時間になるということです。これまでロンドンに対し、9時間早く日が変わっていたのが、11時間早く日が変わる、ということになるのです。

従って、相対的に日の出/日の入り時刻は例年より2時間遅くなります。


この「2時間シフト」によって、生活上様々な影響が出ることになります。但し、デメリットばかりではありません。

例えば、真冬の日の出の時刻・・・日本で日の出が最も遅い沖縄では、昨年1月初旬の日の出時刻が午前7時18分でした。

日本標準時がそのまま2時間早まると、これが単純に午前9時18分となります。小学校の1時限目が終わろうと言う時間にようやく日の出・・・です。小学校の登校時間の多くは朝の8時前後であり、場所によっては真っ暗闇の中、小学生を登校させる羽目になり、学校システムの時間変更を余儀なくされるかも知れません。また、「朝連」なども、暗すぎて廃止になるかもしれません。

逆に真夏の朝の通勤時間は比較的涼しい時間帯となります。(混んだら一緒か?)
商業的には、夕刻~夜間にかけての照明器具の点灯開始時刻もシフトする計算になるので、全体的な電力消費が低減されるかも知れません。

一昨年、昨年ともに、(元はといえば東日本大震災により福島第1原発が甚大は被害を受けたのが発端ですが)「ピークシフト」という言葉通り、各商業、産業の最大消費電力となる時刻をずらして、発電所の負担を軽減しようという動きがありました。今後も続くと思われます。

これを考えると、各産業によって始業時間がずれるという効果が、標準時のシフトによって生まれる可能性があります。前述したように、義務教育の範疇では発育期、思春期の子供の体内時計も考慮する必要があり、やすやすと2時間シフトは出来ないはずで、仮に標準時の2時間シフトが敢行された場合でも、小学校の始業が9時半に変わるなどの動きがあると思われます。

多くの企業もこれに準ずるでしょう。なぜなら、子を持つ家庭の大黒柱の多くがサラリーマンだからです。子供より先に家を出て出勤する親も多いですが、今現在の状況が維持される方向で決まっていくのだと思います。


他のことを考えると、例えば、スキー場のオープン時刻が1時間ほど遅くなり、9時半からリフトが動くようになるでしょう。その一方で、夕方が長くなるので、1日券ではなく、時間券の概念が増えるかもしれません。


考えるとキリがないのですが、この思案が、日本全体の産業効率化の一つのブレークスルーになることは間違いないでしょう。前述のとおり、純粋に「標準時が2時間早まる」だけで終わることはまずないと思いますが、ものすごく面白いアイディアだと私は思います。



ところで、私がいちばん懸念しているのは、F1やINDYカーの生中継の時刻が2時間ずれることです。アメリカとの時差が縮まることにより、INDY500のスタート時刻がほとんど明け方に近くなってしまいます・・・・あ、時間がずれるから「明け方」の概念も2時間ずれるわけか・・・。

次期戦闘機、F35選定で最終調整 米ロッキード社製

防衛省は航空自衛隊が導入する次期戦闘機(FX)について、米ロッキード・マーチン社が製造主体の「F35」を選定する方向で最終調整に入った。近く省内手続きを終えて一川保夫防衛相が最終決定するとともに、14日にも野田佳彦首相に報告する方針だ。
選定作業ではF35に加え、米ボーイング社製の「FA18」、英BAEシステムズ社などによる「ユーロファイター」の3機種が最終候補になっていた。防衛省は(1)コックピットの操作性など性能面(2)メンテナンス面(3)価格(4)機体を国内生産できる割合----を細かく点数化。「性能重視ということに尽きる」(一川氏)という観点から、配点の多い性能面で高得点のF35が最有力になった。
性能面でF35はレーダーに映りにくいステルス性を備えた最新鋭の「第5世代機」であるとともに、高い運動性が重視された。電子戦や、地上や海上のレーダー情報と連動するネットワーク中心の作戦に適している点も高い評価を得た。
(2011年12月13日15時1分配信 Asahi.comニュースより抜粋)


ま、F22が買えなかったから当然の結果でしょうけど、次期戦闘機の選定についてはずっと注目していました。どの戦闘機が自衛隊機になるのかな?と。
これは別に、「ニッポンの防空が」とか「世界情景が」とか、「アメリカとの関係が」とか、そんな事を気にしているのではなく、純粋に「男の子」としてのワクワク感。

男の子は「先っちょがとんがったもの」が大好きなのです。(変な意味じゃなくて)

「先っちょがとんがったもの」は、強いものを連想させます。速いものを連想させます。

例えば、古代から武器として使われた「剣」や「矢」の尖端や野生の獣の鋭い牙や猛禽類の爪やくちばし。みんなとんがっています。とんがった形は戦いに勝つためのものです。
また例えば、ロケットの先端、レーシングカーの低いノーズ、とんがった形はスピードの象徴でもあります。
だから、戦争だとかそういう話を抜きにしても、スポーツカーや戦闘機のようなものには憧れを抱くのです。憧れなかったら男じゃない!

実際、戦闘機に乗ったことは無いですが、その映像を見たり、写真を見るだけで、その速さと強さを連想します。乗せてくれるんだったら乗ってみたいものです。だから、「トップガン」という映画が大ヒットして、社会現象と言われるほどフライトジャケットが流行したり、「ACE
COMBAT」みたいなゲームが売れるのだと思います。
フライトジャケットを羽織ってレイバンのサングラスをかければ気分は「トム・クルーズ」です。トム・クルーズは身長170cm弱で足も長くなく、日本人の標準的な体形にかなり近いのでみんなトムクルーズになりきれます。

男はみんなバカなので、「トップガン」を観ればトム・クルーズになりきり、「ランボー」を観ればスタローンになりきり、「あぶない刑事」を観れば舘ひろしになりきるのです。

おっと、話がだいぶそれてしまいましたが、要はそんな感じです。

戦争はイヤですが、戦闘機は大好きです。早く、日本の空を飛んでいるところを見てみたいものです。
小松空港や新千歳空港に行けば実際にF15が飛び立つところとか見られるんですけど、新しい戦闘機の飛ぶところを早く見たいですね。

でも、個人的には「ユーロファイター」が良かったなあ。だって、F35ってF22に比べてずんぐりむっくりした印象で、あんまり速そうじゃないから。

日産銀座ギャラリーで「NISSAN LEAF NISMO RC」を見てきた。

RCはラジコンの略では無くレースカーの略です。


これまで雑誌やWebの写真しか見たことが無く、オリジナルのLEAFの前後オーバーハングだけを

伸ばしたような、なんとなく間延びしたような印象しか持ってなかったんですが、

実車を見てびっくり。こりゃSUPER GTですよ。

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ニュルでもTMG開発のEVレーサーが電気自動車としての記録を大幅に[更新したり

(フツーのクルマに混ぜてもかなり速いタイムだった気がします)

もはや電気自動車は世界的にも一定の地位を得たと確信しました。



ただ、よく言われるのは「航続距離」の短さ。

そりゃエネルギー密度の大きいガソリンを使う内燃機関に比べれば不利でしょう。

あとは充電にかかる時間とか。

でも、使い方をEVなりにするとか、充電ステーションの拡充とかが進めば、

何の支障も無いはずなのです。

だいたいがして、乗用車を持っている一般市民のほとんどが、週に1度乗れば

良いくらいで、しかも平均的な乗車距離は100kmに遠く及ばないのですから。



で、ふと思いました。

毎日走ってるけど1日にせいぜい30kmも走らず、待機時間がかなりあるクルマは?

・・・・・あるじゃないですか。毎日ウチの近くまで来てわが娘を乗せていくアレ。


「幼稚園バス」です。


さらには、性能的にも、

・最大航続距離(満充電時):50km程度

・最高速度:50km/h

・高速道路通行不可

 →そもそも多くの幼稚園バスは子供専用シートでシートベルトが無いから不可。

などの条件にすれば、技術的になんの無理も無く作れちゃうと思うのですが。


使い古されて、転売されて内装を改造するとしたら・・・・

スキー場のペンション、旅館の送迎専用車両ですかね。



早く作って!!   日産さん!!

昨日の昼休み。

おにぎりをほおばりながらゼッケン26のボディカラーでもながめようかとIZOD関連のページをサーフしていました。

そしてマルコのオフィシャルページにあたって、そこにアクセスしたら・・・




「Goodbye, Friend」




ただそれだけ。

おかしい。何かがおかしい。でもなんだか解らない・・・・・・。

すごく不思議で、すごく不安な気持ちで夜を迎えた。

そして普通のニュースを通して目に飛び込んできたのは・・・・・・・・・・・・・・


あの、ダン・ウェルドンの死を告げるニュースだった。


インディアナポリスで毎年開催の「INDY 500」で2度目の勝者になったばかりのあのイケメンが・・・・。

インディカーレースの最終戦で、多くのマシンを巻き込む多重クラッシュの中にいたらしい。


自分が記憶する限り、1994年に事故死したグレッグ・ムーア以来の犠牲者・・・・。


言葉が出ません。

ましてや、4週間後に控えた「WORLD DROME」を前にして、こんな悲しい出来事を目にするなんて。



地球は、また一人、かけがえの無いヒーローを亡くしてしまいました。





それでもレースは無くならない。

それがレースだから。




ダン・ウェルドンは日本のモータースポーツファンにとっても馴染み深い存在でした。

もしかしたら、アイルトン・セナに近い存在なのかも知れないですね。




ご冥福をお祈りすると共に、これからも活躍するすべてのレーサーの安全を祈念いたします。








家の近所を歩いていて何気なく足元を見たときの写真。

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早く直してね。

区長さん。


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本日正午、58年間続いたアナログテレビ放送が一部の地域を除いて終了した。
 
この一部の地域と言うのは「東日本大震災」の影響で、家庭へのテレビ導入を含め対応が遅れる地域だが
 
そもそも・・・・・・という感じがする。
 
 
地デジ放送が始まったのは、実はかなり前。2003年12月である。
 
多くのユーザーはデジタル対応テレビを買うより早く、ワンセグ搭載ケータイ等で楽しんだことだろう。
 
そもそも地デジ放送は、インターネットの普及によって視聴率が下がることを危惧したギョーカイが、
 
インターネットに負けないインタラクティブなメディア環境を整備しようと始まったものである。
 
だから、元をたどれば「画質が良い」とか「3D」とかと言うのは後付けのテクノロジーなのだが、
 
当初の目的だった「インタラクティブ」な使われ方をする以前にそれが商品の売りになってしまった。
 
国民は、地デジに魅力を感じてテレビを買い換えたというよりも、テレビが見られなくなるから買い換えただけ。
 
エコカー減税と同じく、かなりあこぎな商売方法である。
 
 
クルマがそうであればテレビもそうなのだが、国民の生活をよりよくするというより、メーカーが儲かる仕組みを
 
政府が考え、メーカーが少しでも優れた商品を安く売ろうと、国外に労働の手を求めてしまい、
 
その延長線上で、秋葉原のような悲しい出来事も起きてしまった。
 
一部地域を除いて、本日限りでばっさりとアナログ放送を停めてしまったのも、テレビ業界の負担を
 
いち早く取り除くためだけである。
 
国民はこの4ヶ月間、節電や日用品の品不足などに耐えながら、それでも今日で終わってしまった
 
アナログ放送のおかげで、予定通りの支出を強いられ、ましてや被災地は地デジのために買った
 
家財が流されてしまったのである。
 
それなのに、一部地域を除いてアナログ放送終了・・・・・。なんかちょっとやるせない。
 
 
そして、0:00を回る前に、アナログ放送の電波はとっくに停まってた。

昨日のアド街で「上野公園」を特集してました。
 
今回のキモはやはり「パンダ」。
 
こんなにまで茶番が許されるバラエティはアド街だけ。1位はともかくとして、残りの順位と薬丸印を
 
気にしながらの1時間。
 
 
ところで、小生が小さい頃、やはり「ランラン」と「カンカン」で大地を揺るがすほどのパンダブームになっていた
 
ことを幼心ながら憶えております。
 
ものすごい混雑をものともせず、両親が連れて行ってくれたのでした。
 
パンダ舎の中では、山手線の満員電車の中に居る乗客が、電車の進行方向に逆らわずに
 
微速前進するイメージで、じっくり観たいけど留まることもできず、背中を向けてただただ寝ているパンダを
 
観たという記憶があります。
 
 
もうG.W.ですが、我が家は娘の幼稚園の春休み期間を有効利用して、嫁がパンダ見物に娘を
 
連れて行きました。やはり、すごい行列だったそうです。
 
自分は一緒に行けなかったけど、上野動物園のパンダを、これで親子3代観たことになります。
 
 
これって、実は、ささやかな幸せだったりします。
 
日本に住んでいながら日本に生息していないアイドルに、親子3代お目にかかれたのですから。
 
上野にパンダが再来するニュースは、今年早くから報道されていましたが、あの震災によってとうとう
 
叶わなくなってしまった、そういう人たちもいるはずです。
 
 
そう考えれば、我々は何かを条件に、何かを理由に、その運命を神によって仕分けられたのかもしれません。
 
だからこそ、生ける人間がやらなければならないことは何かを考えなければならない、そう思うのです。
 
 
中国やオーストラリアの地震もそう、アメリカで起きた竜巻被害もそうです。
 
人間に何か、驕りが生じたときに、神の咎めがあるのではないか・・・そうも思えてきます。
 
(だから神を信じる、ということではありません)
 
 
気象庁はこれまでの地震観測データに基づいた地震予測のノウハウは、まったくの白紙に戻ったと言いました。
 
アメリカでは、かの有名な「マウント・レーニア」が大規模な土石流が起こる寸前とも言われてます。
 
これまで人間はやはり、自然を甘く見すぎたのでは?とも思ってしまいます。
 
もっと自然について知るべきだとも思いました。
 
 
節電やリサイクルなど、人に教わってできることもたくさんありますが、それより先にまず「自然を大事にすること」。
 
難しくありません。敬えばいいのですから。
 
そういう気持ちを、子供に受け継ぎたい。
 
自然とたたかうのではなく、自然を愛すること。
 
 
パンダが日本に来たのは人為的ですが、素直に喜びましょう。
 
そしてパンダをみんなで愛すればいいのだと思います。

もしかしたらガセネタ?でも本当なのかも知れないという記事を見つけたので、あくまで個人的な情報を
 
ブロードキャストするという観点で流します。
 
この情報によりあらゆる損害、危害を蒙った場合にも責任は一切負えませんのであしからず。
 
 
 
(引用ここから)
 
マスメディアが放射能汚染されている。
真実の原発情報を流さない理由

NHK 
経営問題委員    平岩外四(東京電力会長) 

解説委員       緒方彰(原産会議・理事) 

放送番組向上委員 十返千鶴子(原子力文化振興財団理事) 

理事・放送総局長  田中武志(原子力文化振興財団理事) 

NTV 
読売新聞社主    正力松太郎(原子力委員会委員長) 

TBS 
毎日新聞設立発起人 芦原義重(関西電力会長) 

フジサイケイ新聞社長  稲葉秀三(原産会議常任理事) 

テレビ朝日 
朝日新聞社長    渡辺誠毅(原産会議理事) 
論説主幹      岸田純之助(原子力委員会参与) 
論説委員      大熊由起子 

テレビ東京 
日本経済新聞会長  円城寺次郎(原産会議・副会長) 

テレビ東京取締役  駒井健一郎(核物質管理センター会長) 


残念ながらこれがTV局から真実が報道されない現状なのです。
(引用ここまで)
 
この引用はちなみに、spamメールからの引用です。信じるか信じないかは、貴方次第です。

日経ビジネスのweb記事にこんなのが載ってました。
 
ニュースの達人が説くICT時代の情報活用術
ジャーナリスト 池上 彰 氏
 
これだけですごそう・・・・。
 
で、中身はこれを読んでください。
 
 
(抜粋元:NTTコミュニケーションズ)
 
そもそも池上彰氏は、「週間こどもニュース」などで、巷の複雑な最新情報をわかりやすく解説してくれる
おじさんでもある。しかし、ただのおじさんではない。
「解りやすい」ということの大切さをこのページでは説いている。
 
まず、l解りやすいとはどんなことか?に言及している。
わかりにくい言葉が並んだニュースには、なかなか耳を傾けづらいが、解りやすい言葉なら興味を持って聞ける。
つまり、興味を持たないようなニュースを繰り替えすのは、情報統制に近い働きを持つということ。
「解りやすい」とは、「難しくない」では無いのである。
 
また、池上彰氏は、「メディアリテラシー」についても言及しています。
この言葉の詳細については、ぜひ池上彰氏の本文を参照してもらいたいですが、要約すると、
「火事場から姿を現した人が発した「逃げろ」という言葉を鵜呑みにして、火消しまでが逃げてしまう」という
危険性について冷静に考えろということだと思います。
 
とてつもなく多量の、しかもリアルな情報を見てきた人ならではの言葉なのだと思い増すが、
勉強になることばかりです。
 
 
このくだりが面白い。
(以下抜粋)
たとえばニュースで「政府首脳はこう語った」とか「政府筋の見解では…」というフレーズが当たり前のように使われていますが、子どもたちから改めて「それは誰?」と問われると、ほとんどの大人は答えに窮すると思います。一般に「政府首脳」は内閣官房長官、「政府筋」は内閣官房副長官を指すといわれていますが、それを子どもたちにきちんと分かるように説明しようとすると「じゃ、官房長官って何?」と、またまた責められる(笑)。当然のことながら、自分が2段も3段も高いレベルで理解していなければ、相手が子どもであろうが大人であろうが、他人に本当に分かるようには教えられないわけです。
(抜粋終わり)
 
政府やこのたびの震災にかかわる話以外でも起こることです。
 
それこそ「鳥はどうしてそれを飛べるの?」です。それを子供が理解できる言葉で説明するのです。
大人は、感覚や経験的になぜ飛べるかを知っています。が、子供に説明することはおそらく無理でしょう。
ましてや、子供のそういった質問に苛立ち、話を摩り替えるでしょう。
 
今まさに、政府が国民にやっていることと同じなのだと思ってます。
と、言うことは、我々は政府に子ども扱いされているのでは無いでしょうか。
いやいや、政府だけではありません。マスコミにもテレビにもです。
 
あなたなら今後どうしますか?

東電に天下り年収1860万円の元原発官僚 ただいま雲隠れ中

 原発事故が深刻化する中で雲隠れした原発官僚がいる。今年1月に資源エネルギー庁長官から東京電力の顧問に天下った石田徹氏だ。

 東電は「個人情報だから」との理由で報酬を明らかにしていないが、「天下りの不文律として、退官直前と同額程度(年収約1860万円)が払われている」(経産省幹部)とされる。しかも、「ほとぼりが冷めた頃に副社長に昇格する予定」(東電関係者)という。
 
 その動静は一切出てこない。経産省中堅が明かす。

「石田さんが表立って動くと、経産省は“天下りがいるから東電に甘い”と批判されかねない。そこで、石田さんは経産省の上層部に電話し、東電の首脳に経産省の意向を伝える連絡役に徹している。石田さんの役割は、東電の支払う賠償額を出来るだけ減らすことにある」

 東電の経営が傾けば、経産省は特Aクラスの天下り先を失う。石田氏と経産省の関心はそこにしかないのか。

 経産省を中心に政府が拠出する原子力予算は年間約8370億円(2011年度概算要求額)。そこに原子力安全基盤機構、日本原子力文化振興財団など数多くの天下り法人もぶら下がっている。現役・OBを問わず原発官僚の責任も厳しく追及されるべきだ。

NEWS ポストセブン 4月6日(水)7時7分配信より抜粋
 
 
 
国民はちゃんと見てるんだぞ。
こういうときに前に出てきて、職権濫用じゃないにしろ、国民の怒りを静める役に回るのが本物じゃないの?
雲隠れなんて、素人もはなはだしいぜ。
 
金返せ!!!!!!!!

イメージ 1日曜日、マイカーで買い物に出かけました。
 
先週と違い、交通量もだいぶ元の状態に戻ってきた、そんな感じがしました。
 
買い物先でも、卵や牛乳、豆腐などが普通に並んでいて、大きな被害の無かった東京にはようやく日常を取り戻しつつあります。
 
でも相変わらずカップラーメンなどは品薄でした。
 
その代わりではないですが、一時期あれほど入手が困難だった桃屋の具入りラー油が売り切れていなかったりして、やっぱり”異常事態”だったというのがよくわかりました。
 
それにしても被災地はまだまだ大変ですが、東京に住む人たちが平静を取り戻し、消費活動や流通が活発化してくれば復旧作業のペースも上がっていくことでしょう。
 
東京都内でも残念ながら死者は出てしまいましたし、報道には無いエリアでの液状化現象やビル内オフィスフロアの損傷など、聞けば聞くほどダメージはあるものです。私の知るところによれば、天井パネルが全部落ちて、オフィスの復旧まで1ヶ月以上かかってしまうため、自宅勤務を余儀なくされている会社もあるそうです。
 
それでも、東北の被災地に比べればダメージは非常に小さいですし、やはり見た目にはほとんど傷跡が無いように思えます。関東大震災のあとから町という町が生まれ変わり、今では都心にあるビルのほぼすべてが最新の耐震、免震という構造をとってます。うちの会社のビルはやたらと揺れて、非常階段のモルタル壁がひどく剥がれていたので、耐震構造のビルですね。
 
ダメージが小さいというか、東京スカイツリーはノーダメージだったそうです。作業員のけが人もなし。ほんの数キロ先の湾岸エリアでは液状化現象による路面の破損や建物の損傷があったのに、これは快挙と言っていいと思います。(まあ、倒れたらそれはそれで大惨事になってしまいますが)
 
東海大地震級の自然災害を想定して(但し、この高さになると地震による荷重より風圧荷重が大きくなるそうです)、それでも倒れない構造や基礎を作り上げているから当たり前なのですが、それでも日本の技術ってすごいと思います。もし今回の地震でスカイツリー(や東京タワー)が壊れたりしていたら、日本国民のココロも折れてしまっていたでしょう。
 
そういえば、この写真は買い物帰りのクルマの中からケータイカメラで撮影したものですが、やはり真近まで行くと、第2展望台のあの「回廊」がよく見えました!早くあそこを歩いてみたいですね。
イメージ 2

東日本大震災における被害が戦後最大となったそうです。
 
地球上でも史上4番目に大きな地震。福島原発事故のこともあり、日本にとっては最悪の事態です。
 
でも世界各国から救援チームが来日するなど、決して悪いニュースだけではありません。
 
これもそのひとつ。
 
スカイツリーは、自立電波塔として世界最高峰の高さとなる634mに18日、到達しました。
 
東京もかなりゆれました。九段会館の天井崩落事故により、死者も出ました。
 
なんと、東京タワーのアンテナ先端が曲がるという前代未聞のアクシデントも発生・・・・。
 
そんな中、日本にとっても世界にとっても最高のテクノロジーでくみ上げられたスカイツリーは、
 
あのゆれの中にあってもまったくの無傷で、作業員のけがも無く、無事にこの日を迎えられたようです。
 
これはこれで素直に喜ぶべきです。災害ゼロでここまで成し遂げた工事のプロ達の揺るがない功績です。
 
余震が続く不安な毎日にあって、唯一ほっとさせるニュースでした。
 
 
写真は、去年のちょうど今ごろのものです。1年前はまだ、第1展望台にも到達して無かったんですね。
 
すごいですね。
 
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ゲームに不正アクセス、小4補導=他人のID使用―福井県警

 他人のIDとパスワードを使ってオンラインゲームサイトに不正にアクセスしたとして、福井県警生活環境課と福井署は21日までに、不正アクセス禁止法違反の非行事実で奈良県に住む小学4年の女子児童(10)を補導した。同課によると、不正アクセスを認めているという。
 同課によると、女児は昨年7月、チャットで知り合った福井県内の女子中学生のIDとパスワードを不正に利用し、仮想空間上で自分が作成したキャラクター同士が交流できるサイト「アメーバピグ」にアクセスしたとされる。
 女児は「サイト内の仮想通貨をあげる」と言って中学生からIDとパスワードを聞き出し、中学生が作成したキャラクターを自分のものにしようとしたという。女児が無断で設定を変更したため、サイトにアクセスできなくなった中学生が福井県警に相談し、事件が発覚した。
 
(抜粋ここまで)2月21日(月)11時33分配信 時事通信ニュースより


インターネットサイト内の出来事ではありますが、冷静に考えると、これは立派な詐欺罪ですよね。ゲームなので実質的な金員の略奪とはなっていませんが、「うまい話を持ちかけ」「個人情報を引き出し」「財産を略奪する」手法は詐欺そのものです。小学校4年生がいかにもやりそうなことかもしれませんが、やはりダメなものはダメです。

しかし、IDを悪用された中学生にも落ち度はあります。これらは、ケータイによって爆発的に普及したインターネットやWebサイトの利用に関する情報リテラシー教育が追いついていないということなのでしょうか?・・・・・それも一理ありますが、それが全てではないでしょう。そもそもの「物事の良し悪し」や「大事なものは何か」等、大人が教えてあげなければならないことを教えられていない・・・・利便性ばかりが先行してリスクを語れていない、現代の粗悪な教育現場そのものが原因だったりしませんか、文科省さん??
 
と、言い放ってばかりでは無責任ですが、親としては結局のところ、良いことと悪いことの分別を日ごろから自らの行動で示して教えるしかないんだと思います。
 
平気で信号無視とかしている人!!!!やめなさい。子供が見てますよ!!!

トヨタ「シロ裁定」に安堵、ブランド再生で攻勢に

 米運輸省が、「トヨタ車の電子制御システムに問題はない」とする最終的な“シロ裁定”を出したことによって、トヨタ自動車関係者は一様に、「これまで主張してきたことがやっと認められた。まずは一安心」(同社幹部)と、胸をなで下ろしている。
 これまでトヨタは一貫して「電気系統に欠陥はない」と主張してきた。いっぽう米議会公聴会などでは、急加速問題がトヨタ車に限ったものでないことが浮き彫りになったり、原因の多くがドライバーの運転ミスであることが判明。米国内での“トヨタたたき”の論調は次第に弱まってきていた。
 今回の調査は、米運輸省と米航空宇宙局(NASA)のエンジニアという米国の技術トップクラスが担当。この種の調査としては「極めて長い、1年という日時をかけた」(業界関係者)内容で、トヨタ車の電子制御システムに問題がないことを証明した。ようやく「米国の消費者の不安を、科学的に解消することができる」(トヨタ幹部)ことになる。
 今回の“シロ裁定”を受けトヨタは、信頼が失墜し、販売が大手メーカーの中では“独り負け”状態だった米国市場で再び攻勢をかける構え。(後略)
2月9日(水)配信 産経新聞ニュースより抜粋


ようやく終止符ですか。ずいぶんと時間が掛かったものですね。

この"事件"はニュースや新聞、雑誌に至るまでかなり盛大に取り扱われたので、もはや知らない人は居ないでしょう。しかし、日本国内ではそのようなトラブルがほとんど目立たなかったため・・・・特に、プリウスのブレーキ系統に関するトラブルだけでなく、アクセルの部品の製造元の違いによる発生トラブルやフロアマット問題はアメリカ独自のもので、同国は問題の本質そっちのけで"祭り状態"になってしまっていましたが・・・・実際のブレーキの利きに関する問題でも大騒ぎにはなっていないですよね。

ハイブリッドカーの「回生ブレーキ」のフィーリングに関する話は自動車専門誌などでは常に大きく採り上げられていました。
「回生ブレーキ」といえば、新幹線をはじめとする電車では当たり前の機能で、電気を与えると回転するモーターは電気の供給をやめると自然と減速を始めると同時に、回転力によりモーターが発電する原理を利用し、電気を回収するものですが、イマドキのハイブリッドカーの「回生ブレーキ」はもっと高度な技術を用いており、機械式ブレーキと同等以上の姓動力を出すための制御を行い、機械式ブレーキへの負荷を限りなく小さくしています。つまり、普通のブレーキとはフィールが異なるのは当たり前なのです。
が、こないだ最新モデルのプリウスに乗る機会があったのですが(運転してませんが)、何の違和感も感じませんでした。
すくなくとも、国内でもクレームに挙がっていた「ブレーキが利かない」とかは全然ありませんでした。

そもそも、一般的なドライバーは半数以上(特に女性ドライバーだそうですが)が、ブレーキ踏力が弱く、さらには、とっさのときに強くブレーキを踏めないそうです。通常の走行でも雪道走行時でも、ABSにタッチするほどの踏力が出せないらしいですね。この理由はすごく簡単で、タイヤがロックする手前から出るスキール音が怖くて踏めないみたいです。つまり、タイヤがロックして「キキー」という音が出るのが怖くて、せっかく標準装備されている「アンチロックブレーキングシステム」を作動させられない
のです。強いて言うならば、多くのドライバーがちゃんとブレーキが踏めてないということになります。

これで「ブレーキが利かない」は無いですよね。メーカーさんも大変ですね。
 
 
 
そして、このあとにこんなニュースも。
 
 
トヨタたたきで米紙「米議会責められるべきだ」

米ワシントン・ポスト紙は9日付けの社説で、米運輸省がトヨタ自動車の急加速問題で「欠陥なし」との最終報告をまとめたことを受け、「ヒステリーを引き起こした米議会は責められるべきだ」と指摘し、反省を促した。

 社説では、米議会の公聴会を、「真相を探るより、(報道の)見出しになることを意図したやり方だった」との見方を示した。その上で、大局観や自制を欠き、真相究明につながらなかったとして、過剰なトヨタたたきを行った議会の対応を批判した。

 急加速の原因と結論づけられたアクセルとブレーキの踏み間違いについては、「トヨタは顧客を批判できず、(反論などが)不可能だった」として、トヨタを擁護した。
2月10日(木)10時26分配信 読売新聞ニュースより抜粋
 
 
 
メーカーって大変だ。

高速を123キロオーバー、団体職員書類送検

1月9日(木)18時53分配信
 
 スポーツカーで時速203キロを出して高速道を走行したとして、長野県警は9日、同県佐久市、団体職員の男(31)を道交法違反(速度超過)の疑いで長野地検上田支部に書類送検した。
 
 発表によると、男は9月13日夜、同県東御(とうみ)市の上信越道上り線で、制限速度80キロを123キロ超える203キロで乗用車を運転した疑い。
 
 男は国産のスポーツカーを中古で買ったばかりで、「どのくらい出るか試してみたかった。周りの車が止まっているように見えた」と話しているという。
 
 自動速度違反取締装置の画像から、違反が分かった。国産車に通常ある最高時速を180キロに制限する装置は解除されていた。
(読売新聞ニュースより抜粋)
 
 
 
スピード違反は自分も捕まったことがあるから言うが、ホントは良くないけど、運もあると思う。
 
「ホントは良くないけど、運もある」というのは、厳密に言ったら、東名高速道路を走っているひとの9割方の車が
スピード違反だからである。北陸自動車道なんて、覆面パトがぬふわkm/hで巡航しているという噂もある。
 
そもそも、スピード違反で捕まるケースは2種類あって、ひとつは高速道路などでパトカーに追尾されるケース、
そしてもうひとつがオービスにやられるケース。
 
長野県の高速道路で安心して全開に出来る場所といったら、長野自動車道の松本ICのあたりだろう。
自分も当時新品のTRUENO GT-APEX(AE101)でぬゆわkm/hをオーバーした経験がある。
 
ま、もっとレベルの高いクルマなら、他の場所でもふわわkm/hオーバーは可能だが。
 
(ちなみに数年前に乗ってたZ33はぬゆわkm/hでリミッターは効かず、目視でぬよあkm/hまで楽に出てました)
 
 
 
わざわざblogで採り上げたのは、こんなのがニュースになるんだ、と思ったから。
事故でもなんでもないのに、スピード違反がニュースになるなんて久々・・・だと思いませんか?
 
少し、平和が戻ってきたのかな??

“オレ流”国母「反省してま~す」

 バンクーバー冬季五輪日本選手団の入村式が10日、バンクーバーの選手村で行われ、橋本聖子団長やスノーボードの男女ハーフパイプ代表ら30人が出席した。メダル候補に挙げられる国母和宏(21)=東海大=は、成田からの移動時に公式ユニホームを乱して着ていたとして、日本オリンピック委員会(JOC)から注意を受け、式への出席を自粛。ただその後、公式会見に出席した国母に反省の様子はなく、あくまで“オレ流”を貫いた。(後略)

2月12日9時31分配信 デイリースポーツニュースより一部抜粋



 スノーボードはサーフィンやスケートボードといった「横乗り系」の世界から来た、比較的新しいスポーツです。最初に雪山に登場してからもうずいぶんと経ちますが、スキーと大きく異なる点は、スキーは雪山の世界でしか無いものですが、横乗り系はいろいろな場所にあるということです。

そこにストリートファッションとの融合があり、現在のようなカタチになっているのだと思います。

 しかし、ストリートファッションとの融合が行われているのは、別にスノーボードに限ったことではありません。モーグルやファンスキー、モノスキーなど、伝統のアルペンスキーの形から飛び出したカテゴリーでは、最初は当然少数派なので「目立ちたがり屋」が手を出すカテゴリーともなっていて、それに興ずるスキーヤーはやはり、元来の"フォーマル"なスキーウェアを着ず、最初は派手は蛍光色を取り入れたり、ブカブカのオーバーオールを履いたりと、現在のスノボファッションに通じるところがありました。

 今回の騒動は、国母選手の服装の乱れが発端となっていますが、スノーボード全体、あるいは、ストリートやアウトロー、オールドスクールといった"団塊の世代には決して理解されない"ファッションそのものを全否定するような抗議騒動になっているような気がします。でも本当の問題はそんな場所にはない気がします。

 抗議の対象となった"着崩した制服"を見たら、ストリートでもオールドスクールでもなんでもない、タダの「ジュニアハイスクール」だったのです。要は、中学生が制服を着崩しているのと同じレベルだったということです。これが国母選手にとっての「オレ流」とか「アピール」だったとしたら、「反抗期の子供以下」です。何故「オレ流」で行くなら「制服を着ない」選択に向かなかったのでしょうか?制服を着ないと先生に怒られるからでしょうか?これが本当に中学生とかだったら周りも「あ~あ、しょうがないなあ」で済みますが、成人式を昨年に済ませた21歳の大人です。かなり残念です。



どっちもどっち

 「スポーツマンの常識からかけ離れてる。国民の代表として来ている人間の服装じゃない」と、声を荒らげた(抜粋)というJOCの理事がどんだけ偉いか知りませんが、憤慨するより先に抗議した国民に対し陳謝すべきだったと思います。「多くの方からの抗議が殺到したことを認め、本人も反省している。このたびは応援していただいている国民の皆様にご心配をおかけして申し訳ない」くらい言えないのでしょうか?その点、スノボ代表団の荻原監督は内容はともかくとして先ず陳謝したことは評価できます。

 しかしそもそも、渡航時からこのような事態になってしまったこと自体、JOCの管理不行き届きと言わざるを得ないでしょう。もし、渡航前に真っ当な事務連絡や指導があったのだとしたら、お久保選手は単なる「ルールも守れないやつ」となってしまいますが、世界大会で上位に入るほどの実力者ですから、そのくらいのことはわかるはずです。JOCからは単に「制服を着て移動すること」くらいしか指示が無かったのだと思います。

 また、そのような崩した服装を見て周りの選手、あるいはコーチやその他大勢の選手団から一切の忠告やお叱りなどは無かったのでしょうか?まあ、無かったのでしょうね。結局は選手団の"選手じゃない人"はお祭り気分が先行してそんなことにも気が回らないのではないでしょうか?あるいは、知らない人?だから言わないのでしょうか。そう考えると、悲しいばかりです。



そもそも・・・・・

 オリンピックを見るたびに毎回思うのですが、選手たちがアップのときに来ている防寒ジャケットやオーバーオールはかっこよくても、開会式の入場時に着る服がすごくかっこ悪いです。センスのかけらも無いというか。いつまで日本は戦後の国なんだ?と思うくらい地味で。

 だから子供たちは、学生服のように着崩すのがカッコいいと思ってしまったのではないでしょうか?

作った人って・・・・・またあの人?!もうやめて・・・・。

最近立ち上がったwebサイトにこんな記事がありました。

http://www.carview.co.jp/green/special/102/2/

 航続距離160kmというのは、もちろん1回のフル充電でのいっぱいいっぱいの走行可能距離であるが、ガソリン車などのワンタンク分の走行可能距離に該当するかといえば、それは違うと思います。どちらかと言うと、携帯電話の連続通話時間のそれに近いはずです。

 なぜなら、ガソリン供給と電源ではインフラのあり方が全く異なるからで、それこそ携帯電話がジッポライターのように燃料を入れさえすれば使い続けられるとしたら、カタログには書かれても「連続通話時間の長さ(電池のもち)」が大きなセールスポイントにはならないでしょう。

 それでも、ガソリン車の航続距離と比較されてしまうのはやはり自動車であるということと、人間が予備電池を持ち運んだり出来ないからです。ここさえ何とかなれば電気自動車の実用性に係わる云々は論議する必要のない域に遠のくはずです。

 話を戻して、航続距離160kmというのは長いか短いか?ですが、ガソリン車と比較したらそりゃ短いと言われるに決まってます。しかし視点を少し変えて考えて見ます。私自身のクルマの使い方を考えてみると、クルマを使う頻度は週に1度か2度、週末だけです。平日は滅多に使いません。(こう考えただけでも勿体無いか?と思いますが、使いたいときに使えるという利便性のほうが大事・・・とも思う。)なので「フル充電に8時間掛かる」としてもそこはとりあえず問題無いです。そして毎週末の用途は主に買い物などの近郊への往復移動で、いろいろな用途はあれど、1日に走る距離は100kmをなかなか越えないでしょう。これだけを考えると、航続距離160kmというのは、日常領域で自家用車を利用するという範囲では充分に実用的ということになります。

 ただ、マイカーを持つ理由はこれだけではありません。年に何度もあるわけでは無いですが、ある程度の距離を走る帰省や旅行があります。これが160kmの枠には到底収まらないのです。私の場合、嫁の実家などへの帰省だと、片道700kmも走ります。この700kmという距離は、ハイブリッドカーなら余裕で無給油走破してしまう距離で、私のクルマでは高速道路を降りたら給油すれば・・・という感じの距離です。1回のフル充電で160kmしか走れない電気自動車の場合、理論的には都合4回のフル充電が必要となり、いくら経済的といえども待ち時間が長くなりすぎて実用的とは言えなくなります。

 私のようなクルマの使い方をしている方が全体の何%を占めるかわかりませんが、電気自動車は現在のガソリン車に比較して非常に経済的で環境にも優しいようで、都市郊外に住む方のように"生活の足"として1世帯で数台確保しているような場合は、3台あったら2台は近距離走行用の軽乗用車と言う場合もあります。そのような利用形態なら、軽乗用車を電気自動車に変えて、総ランニングコストを低減する、ということも出来ます。私のような都心と郊外の"エッジ"に住んでいて、複数台保有なんて出来ない世帯では少々考えずらい発想ですけど。

 160kmは考えようによっては充分実用的な距離だということですが、政府はエコカー政策推し進める前に、モビリティマネジメントについてもっとよく考えるべきだと思います。

<事業仕分け>ノーベル賞の野依氏、科学技術予算削減を批判

 文部科学省の政策会議が勉強会として設置した「先端科学調査会」に25日、ノーベル化学賞受賞者の野依良治・理化学研究所理事長が出席した。野依理事長は政府の事業仕分けで科学技術関連事業の予算削減が相次いでいることに「科学技術は日本が国際競争を生きるすべであり、国際協調の柱だ。これを削減するのは不見識だ」と強く批判した。

 野依理事長は、先進国と比べて格段に少ない科学技術関連予算や、米国で博士号を取る人が中国の20分の1、韓国の6分の1しかいない現状などを説明し、「10年後、各国に巨大な科学国際人脈ができ、そこからリーダーが生まれる。日本は取り残される可能性がある」と指摘。「(事業仕分けは)誇りを持って未来の国際社会で日本が生きていくという観点を持っているのか。将来、歴史の法廷に立つ覚悟でやっているのかと問いたい」と疑問を呈した。

(11月25日12時47分配信 毎日新聞ニュースより抜粋)


 一週間以上も前のニュースネタでごめんなさい。でも、意見を書き出したところで「う~ん、なんだか単純に行かないよなー」なんて考えて、筆を停めてしまったのです。

 まずは、このようなことを国をあげて取り組み出したことに対し賞賛すべきでしょう。やり方がどうこうと言う前に、この「事業仕分け」のおかげで各々の官僚組織や行政法人等が国民の知らないところで行ってきた「仕事」が大っぴらとなり、自分たちの税金が使われているモノにより強い関心を持つきっかけとなったのだから。

 「お金をもらっているだけ」「決められたやり方に従ってお金を使っているだけ」だった木っ端役人どもに、国民の税金をどうやってうまく使っているかを説明できるはずも無いだろうとは思っていたのですが、テレビの前で本当にそれを言っちゃおしまいです。なんでそうやって逃げるのか?そこに付け入ってバシバシと蓮舫が捲くし立てる光景も絵的には爽快感もありますが、テレビの切り貼り的な偏り報道だけをみれば蓮舫が一方的に好き勝手に飛ばしているようにしか見えないところもまたテレビ的で好きじゃないです。第一信憑性に欠けるし。

 ワイドショウでは「事業仕分け」のやり方そのものに批判を浴びせる一方で、官僚の準備不足についても批判していました。しかし、イマイチ論点が定まらないよなーと思っていたところにこのニュースが飛び込んできたのでした。

 専門家の批評や世論やその結果を見て、一度出た結果に見直しを掛けること、これもとても良いことだと思います。ただ、いつまでもその繰り返しではまずいのでは?そしてそもそも政治家や技術専門家がこの「スーパーコンピュータ開発の国家プロジェクト」について「何のために大枚叩いて、しかも数年後には使い道を失いかねないモノを作る必要があるのか?」というイチバン大事な議論をいままでもやってなかったの?という疑問が逆に出てきてしまいました。

 
 そこにきて、こんなブログを発見しました。

http://blogs.itmedia.co.jp/showbiz/2009/11/post-b323.html

 やっぱり日本って言う国は考え方が浅はかだというか、幼いというか、これを読んで仕事の手を止めて考え込んでしまいました。

 例えが正しいかどうか判りませんが、スーパーコンピュータを作ることって、車で言うとレーシングカーを作ることに似ているんだなーと思いました。ただそれが速さを競うものだからと言うわけではなく、膨大な時間や労力やお金を掛けて開発したレーシングカーは、表面的にはライバルとスピードやパワーを競うものになっていますが、そのレーシングカーで培われた製造技術や性能が、フツーの車を作るときのコストダウンに繋がったり燃費向上に貢献したり、衝突安全性能をアップさせたりというものに繋がっていることは良く知られているからです。

 それがひとたび興行的にシラケが出ているからとか金が掛かりすぎているからとかという理由で主催者側がエンジン開発を復数年間凍結にしたり開発費用そのものを削減したりしています。エコロジー的観点からの評判も勘案していますけど。

 特に日本。ハイブリッドカーの時代にガソリン食うだけの速い車は必要か?とかF1やってて次世代技術に貢献するのか?とか言われトヨタもホンダも辞めちゃいましたよね。でも実際、海外レースではバイオエタノール燃料のレーシングカーが最高速を争ったり、ディーゼルエンジンのレースカーがルマン制覇したりしていて、その技術がフツーの車にもちゃんと反映されて、実用燃費は別にして日本のハイブリッドカーよりクリーンな排ガスしか出さない車がいっぱい走っています。

 日本は開発費用に対し利益に見合わないとかで作らなかったり、法律そのもので縛られてディーゼルエンジンの燃費のよい車がありません。

 いいたいことは、何をやるにしても国のお金を使うんだから、意義だとか社会貢献の内容とかそういったものがちゃんと説明させるべきで、実効的に成果がちゃんと出るものをやれば良いだけのことだということです。

 既存のスーパーコンピューターで成しえない複合計算が出来るようになるとどういった目的が達成されて、その成果がどのように社会貢献のネタになるのかを素人にも判りやすく説明できるくらいじゃないと、仕分け人はおろか、国民からも非難されます。さらには、計算スピードが単に高ければよいのなら3800万円スパコンのような方法もあるわけで、ホンダの初代インサイトみたいに「記録狙い専用」とか言われつつもアレを開発したことで2代目がプリウスと真っ向勝負でハイブリッド低燃費車の一大普及に貢献したように、必ず表面的にはわからない大きな意義があることをちゃんと伝えられれば良かったのだと思います。

 「事業仕分け」そのものが、とにかく国家予算の無駄を省くというコンセプトで始まったのは非常に有意義だとは思います。しかし、それはそもそも行政や官僚のやっていることに無駄が多いからという観点があったからそうなったわけです。最初はこの方法でもある程度の経費削減効果は出ると思いますが、スーパーコンピュータ開発のような大事な問題を、この「事業仕分けの幼児期」に掲げるべきではなかったのではと思います。

 「無駄を省くための事業仕分け」ではなくこの国の大事な税金をどのように使っていくことが国にとって一番有意義かを、国会でちゃんと議論できるような成熟した国会になったら、こんな馬鹿げた報道は無かったのでは?と思います。


 最後に、やっぱり日本の技術ってすごいんだなーと関心させられるけど、そういうスーパーテクノロジーに支えられている生活っていうのがあるんだけど、そのテクノロジーの片鱗があちらこちらに生活の中にちりばめられていて(これを普及と呼ぶのですが)、それにフツーの国民が気づかないくらいにまで浸透してしまっていることがすごいと思います。だから、この日本という国と、その政治がもっといい方向に向かうためには、一人一人の努力が必要ということなのでしょう・・・・と、ちょっと無責任に締めくくってみる。
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「道路を走って車を充電」システム、韓国で開発


道路に電気自動車の充電システムを埋め込む実験が、韓国で行われる。(ロイター)

 韓国最高峰の技術系大学が、一部の電動歯ブラシで電力を送るのに利用されている技術を使って、道路に電気自動車の充電システムを組み込む計画を策定した。

 まだ実験的段階のこの計画では、幅20~90センチ程度で長さ数百メートルのパワーストリップ(電源タップ)を道路の表面に埋め込む。

 車の底面にセンサー付き磁気デバイスを取り付けると、パワーストリップの上を走行する際に電気を吸収できる。パワーストリップに直接接触しなくてもいい。

 「1つの都市の道路の約10%にこのパワーストリップを設置すれば、電気自動車を充電できる」と韓国科学技術院(KAIST)で「オンライン電気自動車」計画のマネジャーを務めるチョー・ドンホ氏は語る。

 同校は、ソウルの約140キロ南にあるテジョンのキャンパス内にゴルフカート用のプロトタイプを設置した。現在は自動車やバスに電力を供給するシステムに取り組んでいる。(後略)

2009年05月18日 11時13分 ITメディアニュースより抜粋

元ネタ
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0905/18/news034.html


いやあ、敵ながら天晴れという感じです。

プリウスなどのハイブリッドカーに搭載し、この装置があるエリアでは(信号を受けて)強制的に電気だけで走るモードに切り替わる(もちろん電池がなくなったらエンジン始動)ようにすれば、都市部をほぼ排ガスゼロに出来る。あるいは、コインパーキングに設置し、単なる駐車料金とは別に充電料金を支払うシステムとしても面白そうだ。大型ショッピングモールの駐車場に設置し、買い物客はその滞在時間(通常は買い物額が多いほど駐車料金が多くサービスとなる)に応じて充電電気がサービスになったり、停止した瞬間「お客様の車は1時間半で満充電になります」とか言われると購買意欲も増さないか?今は廃れてしまったが「パーキングシアター」の復活にも貢献するかもしれない。映画の料金を払うと入場出来、その場に停めていれば映画鑑賞中に充電完了。従来のガソリン車のようにアイドリングしっぱなしも無いため、場内は非常に静かで排ガスもゼロ。

でもその前に、これらの装置を建設するときに使う道路工事の重機類がハイブリッド化、電動化しないとあんまり意味が無いのかな。

原動機(エンジン)を持った自動車は電動などと違い、燃料タンクに水より軽いガソリンを入れるだけでかなりの長い距離を走り続けられる現代文明のエース的存在である。今でこそ、ハイブリッド車や燃料電池車の出現と普及によりそのアドバンテージが小さくなりつつあるが、たった数分の燃料補給で1000km以上の連続走行も可能な自動車に比べるとまだまだ優位性が高いわけではない。このソリューションのように、走りながら充電が出来るというのは素晴らしくても、街中の1割の道路に埋め込めば充電可能という少々非現実的な提案レベルのうちは、未だ難しいだろう。

要するに、インフラの問題でもある。



韓国というのは、悪く言えば何もかもが中途半端にスタートした国。だからこそ、こんなドラスティックな発想も出てくるのかも・・・・。脱帽です。

イメージ 1

 本日4月27日は、あの「モールス信号」の名のもとになった「サミュエル・モールス」の生誕の日なのだそうです。今日はGoogleメーンページのタイトルもモールス信号(符号)になってます。

 サミュエル・モールスは1832年に大西洋を船で横断中に偶然見た「電磁石」の振る舞いによって、電磁石を利用して通信が出来ると考えました。後に、既に電磁誘導を発見していたジョセフ・ヘンリーの技術指導を得て、電磁石応用の電信機を生み出しました。

 モールス信号(符号)は「dot(トン)」と「dash(ツー)」のたった2種類の信号(または音)だけで構成されるシンプルな通信の方式です。現代のように高音質な音声や高速データを送るようになるまでにはさらに100年以上の歳月を要しているわけですが、たった2種類の信号でアルファベット26文字と数字を表現していたモールス信号(符号)は、今では当たり前のデジタル通信の基礎とも言える発想だったのです。

 モールスつながりで登場したジョセフ・ヘンリーもまた、電磁石の力を利用したモーターを発明した人として有名だそうです。

 モーターといえば、今ではどんなものにも使われているといっても言い過ぎではないくらい現在の生活には欠かせない存在です。冷蔵庫のコンプレッサー、掃除機のモーター(そのまんま)、携帯電話のバイブレーション機能や自動車のワイパー・・・・そうそう、最近では電動アシスト付き自転車や(エンジンで走る)自動車の補助動力装置(ハイブリッド車)の補助としてもモーターはその活躍の場を広げていますね。

 サミュエル・モールスも、ジョセフ・ヘンリーもアメリカの科学者です。アメリカには、このような誰も思いつかないような発想力によって、現代の文明社会に欠かせない何かを創出している人が何人も居るのです。

 なんだか自分たちの日常のうわべだけを見ていると、自動車でも家電製品でもMade in Japanが「壊れない」「安い」「高性能」という印象ばかり目立ちますが、そのような文明の利器たちを作り上げている基礎技術やそれらの発明、開発に対する情熱というものは、やっぱりアメリカがイチバンなのではないでしょうか?

 どんなに日本やヨーロッパ諸国の科学技術が進んでいるとはいえ、スペースシャトルに人を乗せてホントに飛ばしたのはアメリカだけですからね。

 何事にも世界に先駆けてチャレンジを続けるアメリカ。不況に負けずに、本当の底力を今こそ見せてもらいたいものです。
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2009年度、日本のITトップ企業のトップ訓示

・企業が利益を上げることは重要だが、「顧客や社会の役に立つことが第一」「それに対する感謝の気持ちがわれわれの利益になる」という順番が原点だ。(NEC 矢野薫社長)
・多用な人やチームとのコラボレーションを通じて、自信の自己実現も図ってほしい。自ら考えることなくして成長はない。皆さん一人ひとりが持っている能力が、コラボレーションによって何倍もの力となる。(日本IBM 橋本孝之社長)
・1つ目はプロフェッショナルになること。2つ目は人的ネットワークを持つこと。3つ目はゴールを設定すること。(日本HP 小出伸一社長)
・皆さんがもらう給料とは何か。会社から定期的に振り込まれるのが給料だが、元をたどると顧客からいただいたもの。製品やサービスに対する顧客の対価が給料になる。まずその感覚を身につけてほしい。(日本オラクル 遠藤隆雄社長)
・「社会の常識人」として基本的なルールを守り、責任を完遂することを約束してほしい。(日本ユニシス 籾井勝人社長)
・何ごとにも誠実な態度で行動すれば、必ず相手に通じ、その姿勢によって誠意ある人と認められる。(沖電気工業 篠塚勝正社長)

(4月1日のITメディアニュースより一部抜粋)



これは、今年度の入社式で新入社員に向けられた、日本の一流IT企業の社長訓示の一部です。IT企業だからどーのこーのということは無く、また、この「みぞーゆー」の経済不振だからと言うこのもありません。社長訓示全体を眺めればそのような内容もあるのですが、心に響くキーワードだけを引き出すと、企業のトップというのは本当に社会人としての原点を語ってるんだなーというのがよくわかります。

日本HPの小出社長の言葉がもっとも端的にそれを表していると思います。
「プロフェッショナルになること」を勘違いしている人が非常に多い。ウチの会社の中にも「勘違い野郎」がたくさん居ます。勘違いしている人は「プロフェッショナル」と「アマチュア」の表面的な違いのみしか理解していないのだと思います。

誰でも知っているように、アマチュアのプロとの大きな違いは、報酬を得ているかどうかです。従い、勘違い野郎は「報酬をもらえばプロ」という致命的な勘違いをしているということです。そういう勘違い野郎はいずれ仕事がなくなり、会社のお荷物になります。そういう意味では、日本オラクルの遠藤社長の言葉がとても解り易いと思います。

ただしこれは社会人としてのある側面であり、もうひとつの側面は、生計を立てる、生活を維持する、家族を養うというものです。

これら企業人としてもトップクラスの方々の有難いお言葉を自分の生活に当てはめることが出来るでしょうか?さらには、子育ての一環として、わが子の教育などに適用することは出来るでしょうか?答えはイエスです。というよりも、イエスと言わなければいけません。自分の子供だからこそ、なおさら人任せにしてはならないと思うのです。

子育ての過程では、社会人となった時には出来て当然と思われるようなことも、その幼さから出来なくて当然のことがたくさんあります。しかし、子供のうちに出来るようにならなかったことを大人になってから出来るようにするのはとても大変なことです。高度な思考能力、欲、打算的になること、矛盾をコントロールすること、そして利害関係にはとても敏感になります。しかし、それも、ちゃんと筋が通せる人間であればこそ活きてくる能力でもあります。だから、どんなに些細なことでも、どんなに(大人にとっては)幼稚に感じることでも、まず「筋を通す」ことだけでも一生懸命教えてあげて、誠実で芯の曲がらない、芯の強い子供に育ててあげるのが親の役目だと思います。

それにはまず、自分が自分の意思を貫くことを見せる必要がありますね。
これは自分の子供だけでなく、会社の同僚や後輩、そして捻じ曲がった管理職に対してもですね。

明日は入園式。
新たなスタートです。

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