カテゴリ: まいにちまいにち


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<旅の終わりに>

この写真は当時、サロマ湖の駐車場に車を停め、高台から見下したもの。

右がサロマ湖で、左がオホーツク海。

双方がつながっている場所はもう少し先になります。


北海道ドライブ旅は以前からやってみたかったのですが

この時の旅はそれ以上に、逃避行じみた旅だったのかも。

日本の北限の先にうかがえる異国を探したり

海と湖の境目を見ようとしたり

湖、滝、ダムなど水を求めて廻ったり。

確かに

もっともライフとワークの境目が分からなくなっていた

そんな時かもしれません。

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実はこのあと、

再びひとりたびに出ています。

それは

北海道のような自分探しの旅とは違い

人と出会うための旅になっています。



この話はまた今度。

(終わり)



INDEX

プロローグ (序章)
第一話 (きっかけ)
第二話 (津軽海峡)
第三話 (稚内を目指す)
第四話 ( 宗谷岬にて)
第五話 (サロマ湖)
第六話 (北の大地を)
第七話 (おひとりさま)
第八話 (北海道の秋)
第九話 (そして帰京)



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(「第八話」はこちら)


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とうとう帰る日になってしまいました。

とはいうものの、東京を出発してから1週間足らず。

それほど長い旅でもありません。

旅の終わりは

わがままを受け入れてくれた家族へのお土産を買いに

函館朝市にやってきました。

ここもずいぶん変わったよな‥‥‥。

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買い物が終わったら、車を置いたまま周辺を散策。

実は、前回出張で来た時には一切、観光要素が無かったのです。

せめて駅周辺だけでも観よう。

そうそう‥‥旭川の居酒屋でも、函館の炉端焼きでも言われたことが。

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(当時、通りがかりに撮影)

「五稜郭タワー、登った??」

ボクの答えは

「いいえ…時間的に厳しくて寄れてませんでした。」

「ああーそうなんだ、もったいないなあ」

「今度来たら行ってみます‥‥」



2010年、当初は60mほどしかなかったタワーが、2006年の再構築で

107mまで高さが引き上げられていたのでした。

当時、ボクは口が裂けても言えなかった・・・・・


来年(2011年)は「東京スカイツリー」が出来上がるんですがw


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フェリーの時間が近づいてくる。

そしていよいよ本州へ帰るときが来ました。

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これに乗れば、北海道ドライブは終わりです。

青森に着いたら、淡々と東京を目指すだけ。

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そしていよいよ出航。

日中の船旅なので、デッキに出て海をずっと眺めていました。

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大洗や仙台~苫小牧を結ぶ大型の客船フェリーと違い

そっけない設備の貨物フェリーです。

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でも、この感じがどことなく良いんだよなあ。

船を負うように夕日が迫ってきて

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そのころには青森の港が見終えました。

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また来るよ・・・・・。

(「エピローグ」へ続く)





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(「第七話」はこちら)


北海道旅も佳境に入ってきました。

今日は5日目。明日はもう帰ります。

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札幌市から国道453号を南下して、まず支笏湖を訪れました。

支笏湖は、千歳空港発でニセコ等のスキー場へバスが向かう際に

しばしば休憩場所として使われてた記憶がありますが、

マイカーで来たのはこれが初めて。



そして洞爺湖へ…のその前に「きのこ王国」なる施設があり、休憩。

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きのこ汁と(なぜか)ソーセージをいただきました。

その後は洞爺湖経由で函館を目指しました。



数日前は、冬間近の最北端を訪れていましたが、道南はまさに

紅葉真っただ中のベストシーズンに近い様相。

ほんと北海道は大きいです。

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洞爺湖の無料駐車場に車を停め、しばしの散策。

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ここは”ひとりたび”ではなく、家族と訪れたい場所ですね。

この日は300kmを早い時間内に走破する予定だったので

先を急ぎます。




その後、「道の駅 YOU・遊・もり」に寄りました。

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閑散としていましたが、ここで遅い昼食。

とても美味しい塩ラーメンを食べました。

この道の駅の塩ラーメンが、14年経った今でもナンバーワンです。



そして、大沼公園へやってきました。

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ちょっと小高い丘へあがって観た、本州ではまず見られない圧巻の紅葉。

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寒くなってきました。

ようやく函館の街に入りました。

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明日慌てないように、一度フェリー港へ行き、乗り場の確認をしました。

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そうこうしているうちに、もう日が沈む時間。

北海道の夜は早いのです。

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この日は、昔訪れたことのある炉端焼きやさんに行き、

当時の話をしたり、新婚旅行で来ていたカップルの

写真を撮ってあげたりと、腹と人恋しさを満たす良い夜でした。



これで北海道ひとりたびは一つのエンディングを迎えました。

ホテルに帰って飲みなおします。


「第九話」へ続く





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(「第六話」はこちら)


旅も4日目。

ただ、この旅の実行を決めてから1週間もたって居ませんでした。

あまりにもいろいろ準備しないままの

「行き当たりばったり旅」

この日は札幌に泊まり、次は函館に泊まり、そして帰京。

いよいよあと2日という旅程になっていました。

時間の経つのは早いものです。



さて今日は、時間の余裕があったので午前中に走りまわりました。

でも昼時には滝川町に居たかったのです。

理由はコレ。

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出張などで札幌市内では食していましたが、滝川に本店があることを知り…。

ひとりたびならではの

おひとりさま。

もちろんノンアルでセットを。

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腹ごしらえを済ませると、残りの道程を走って札幌を目指すのみ。

実は本日の旅程の半分は、滝川~札幌だったのでした。

高速を使わず国道でのんびりと。

それでも、広く真っすぐな道は目的地へと早く導いてくれました。

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夕刻は4時よりも前に大通り公園が目の前のホテルに到着。

まずはシャワーを浴びて「サッポロ・クラシック」の500mlを。



札幌をはじめて訪れたのは1996年くらいだったと思います。

その後何度となく出張で訪れてたので、街並みにはなじみがありました。

ボクはある頃から「SUNTORY BAR 1999」が好きになり、

同僚などと出張に来ても一人でまずここで1杯飲ってから

合流したりしていました。

ひとりたびの今回もその例に漏れず。

ラーメンも‥‥‥。

でも明日もあるし。

街の灯りを惜しむように宿へ帰りました。

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「第八話」へ続く





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今日は旭川からスタート。

初日は夕刻に東京を出て深夜1時のフェリーに乗りました。

フェリー乗り場までおよそ700kmの道程をイッキに。

フェリーで夜を過ごし、早朝に函館港へと降り立ち、休み休み稚内を

目指したのが2日目。約600km。

3日目は宗谷岬とサロマ湖を見た、約450kmのドライブ。

この日は4日目で、旭川~札幌と

北海道ドライブ中もっとも短い移動距離になる予定でしたが

いろいろ寄り見ながら楽しみながら札幌を目指し、

結果的に200km程度の心地よい長さのドライブとなりました。

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観光名所として知られる「美瑛町」を一目見ようと旭川から南下すると

途中には旭川空港がありました。

何の用事も無いのだけれど、飛行機を見るのは好き。

でも羽田に見慣れているせいか、退屈だったので短い滞在時間でした。

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美瑛に来た。

中途半端なシーズンだったので、景色の色も中途半端。

ただ、丘の上に一列に樹木が並ぶ「北海道らしい」景色を堪能しました。

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やはり、どことなく「北海道らしさ」を探している写真が多かったです。

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美瑛町の後は、滝川市に舵を取ります。

その途中にダムが現れました。

ダムは何となく見ていきたかったので、やはり立ち寄りました。

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水はなぜか人の気持ちを穏やかにしますね。

おなかがすいてきた。さて‥‥‥


「第七話」へ続く




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(「第四話」はこちら)


一番の目的だった「宗谷岬」を訪れようとしたとき、

ぶっちゃけ、その後の予定は特に考えていませんでした。

ただ、宿泊場所の確保の問題があったので

稚内/旭川/札幌/函館のそれぞれ駅近くの宿は先に確保していました。

北海道ドライブ旅の3日目の到達地は旭川駅前でした。




実は、この3日目のルートが最も悩んだのです。

理由は、行ってみたかった網走市で宿の確保が困難だったから。

それによって、その先へ足を延ばすことで1日の移動距離が長くなり

またそこから北斗市を目指す段階でも少々無理がある道程になる。

かといって、ほかの場所をめぐるほどの時間的余裕がなく

多少の妥協もしながら行きついたのが

サロマ湖を見るということだったのです。

まずは道の途中にあるクッチャロ湖で休憩。

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どうやら夏場は人気のキャンプ地らしいですね。

今日はずっと雨。

荒れ狂うオホーツク海を左にずーっと見ながら

国道238号線をひたすら南下していきました。

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そして、流氷が見られるという道の駅に立ち寄ると休館日。

いまは流氷シーズンでは無いのはわかっていましたが

ここで休息を取ろうとしていたので少し残念。

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それでも、ひとりたびは楽しい。

どこかでゆっくり食事とも考えましたが

行きずりのセブンに寄り、日ごろはあまり買わない

かつ丼弁当とオールフリーを。

たまにはこんな食事もイイ。

正直に書くと、

街に入れば左右に飲食店がちらほら出てくるという

首都圏の街並みのような想像をしてたのだけれど

辺境の地(失礼)ではその常識は通用しないのですね。

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海沿いの、それは広大なオホーツク海の脇を

5時間ほど走っただろうか?

標識に「サロマ湖」文字が出てきました。

そして

サロマ湖のサイズに驚愕することになります。

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海と続いている湖なのだが

サロマ湖自体、湖ではなく”湾”なのではないか?

それほど大きい。



ここからはひたすら旭川市に向かうため、内陸部へ進む。

人も車も見かけず、真っすぐな道が続くだけの場所。

途中、エゾシカが急接近してきて危うく事故るところでした。

その日の旭川駅前の居酒屋さんでそんな話をしたのですが

エゾシカの出没はこの土地では珍しいことでは無いそう。

むしろ、衝突してしまったら、相手も死んでしまうが

車は全損になるほどらしいです

大きいですもんね。



山越えの道で雪に降られました。

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スタッドレスを付けてきて正解でした。

次の日の道程はドライブ中で最も短い日。

旭川の街へ繰り出して、夜を楽しみました。

祭日の次の日と言うこともあり、店も空いていました。

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「第六話」へ続く



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(「第三話」はこちら)


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東京の家を出発してからもう3日目となっていました。

霧雨のような霙のような冷たい雨が静かに降り注ぐ

11月初旬の稚内。

まずは自衛隊稚内分屯基地もある「ノシャップ岬」へ。

ここもロシアから100㎞と離れていない海上の要所。

天気が悪く、海の向こうの景色を見ぬまま行動開始。

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ノシャップ岬からわずか35㎞のところに宗谷岬はありました。

宗谷岬は日本の最北端として知られている。

「北方4島」と言われる択捉島の先の2つの島が日本なら

ここは最北端ではなくなります。

そんな理由もあり、妙な柱が立っている…。

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ここで、旅の一番の目的は、果たしました。

あとは、3日後の午後に迫るフェリーの乗船時刻に向けて

函館港までの約850㎞をのんびりと進むのみです。


なぜここに来ようと思ったのか?

そしてなぜ「いっきに」ここを目指したのか?

それほど気持ちに余裕が無かったのだろうか。

目的をいったん達成して、残り時間と道程が逆算できたことで

とてもすっきりした気持ちになりました。

とはいえ、家までの道程はまだ1700km以上。

気を引き締めてドライブしよう。


「第五話」へ続く



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(「第二話」はこちら)


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約5時間のフェリー旅もあっという間に終わり。

クルマを船から出して出発です。

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が、前日に東京からぶっ通しで走り、まともに寝ていないので

目が回っているような気分でした。

その日の宿までの道程は約700kmありましたが、

計算上15時間くらいで行けるかんじだったので

夜に着けばいいやとPAで仮眠を。そして食事を。

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その後は千歳に向かってひたすら国道を走りました。

高速道路を走るのもつかの間…日本高速自動車道の最北点(当時)へ到達。

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ここからは一般道で稚内へ。

全く土地勘が無いので、半分は勘に頼って進むのだろうか?

そう思いきや・・・・・

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「これ、ナビ要るんか??」

果てしなく真っすぐ続く道。

道に迷うどころか、選びようのない道のり。



旅立つ前は、様々な不安を募らせていましたが

ただただ「時の流れに身を任せ」る状態に。



さすがに疲れました。

ロシア語が混じる飲み屋街にも魅力を感じつつも

コンビニでビールを2本買って寝床へ。

気分がすっきりしました。

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「第四話」へ続く



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(「第一話」はこちら)


まず、目的地だけが決まりました。

「稚内へ行く」

理由はなんてことはない。

ただただ日本の最北端に訪れたかっただけ。

しかしその先はノープラン。

そして

とつぜん旅出を決めたので

青森からフェリーに乗れるかどうかもわからなかったのです。



時刻表だけ観て、とりあえず船に間に合う時間に向けて

車を走らせました。

そして途中で船舶会社に連絡すると

「来てみてもらわないとわからない」

そんなことってあるのか??

実は、フェリーに乗るのが初めてだったのですが

途中のサービスエリアでその事実を知ったとき

すぐさま「帰りのフェリー」を確保しました。



そして、フェリー乗り場へ行きました。

「来てみないとわからない」という理由は、

実際にクルマを載せる段階で分かりました。

知らずに選んだそのフェリーは貨物優先で

船首や船尾の細くなる部分に収めるため、当日の状況で変わる。

ということだったらしいです。

結果的には難なく乗れることになり・・・・。

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かんたんな寝袋は持っていましたが、寝られるような場所じゃないw

寝られないので、船内を散策。

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物々しい表示にはじめて自分が

割とリスクの大きな旅をしていることに気づきました。

そして日本のどこよりも早い夜明け・・・

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行き当たりばったりの旅が始まりました。

もう、帰りのフェリーは決まっています。

この日を含めて中4日。宿を慌てて確保しました。

もちろんこの日の宿は稚内。

函館港から約700kmの道程です。


「第三話」へ続く




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趣味のラジコンでこのボディを塗りたいと思い、フリーフォントを検索していました。

Porsche-962C
引用元:ウィキペディア

「伊太利屋」という文字のロゴを作りたくて、写真に近いフォントを探していました。

すると、様々なフォントが表示されてとても面白かったので

手あたり次第の「面白そうな組み合わせ」をやってみた、と言うだけの話ですw





ひとつ目
人事総務統括部

これ部長はぜったい糸井重里w





ふたつ目

排他的経済水域

日本経済新聞的なw




3つ目

宇宙開発事業団

まだ一度も飛ばせていなさそうな感じw




4つ目
安全保障理事会

マンションの理事会だろうたぶんw




5つ目

警視庁捜査一課

いや捜査できてないだろ




今日の最後

首都直下型地震

地盤ユル過ぎで逆に怖いから



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(プロローグ(序章)はこちら)


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ひとりたびのきっかけは、2010年の旅より更に7年…2003年にさかのぼります。

2001年に実兄を亡くし、人生いつどうなるかわからないと悟ったその次の年、

当時再販となったフェアレディZを購入しました。

そのZでの最初のドライブは西日本でしたが、

いつしか北を目指してみたいと思うようになり

2003年に、津軽海峡を目指しドライブしたのでした。

その記憶があり、出張やスキー等では上陸は果たしていたものの

マイカーで上陸したことが無く、更に北へいつか行きたいと常々思っていたのです。

それが2010年の

ひとりたびの一つの到達点になりました。

大した理由でもないですが、そんなところです。


「第ニ話」へ続く



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ひとりたび・・・

自分にとっては、単に一人で行く旅行というものではなく

ふだんの生活や

家族との交流や

仕事などすべてを断ち切って

じぶんに向き合う時間だと思っています

そんな「ひとりたび」を

一度だけしたことがありました

もう13年前のことです

その後も「ひとりで行く旅行」はありました

でも

真の意味での「ひとりたび」は

13年前のあの北海道だけ

いま振り返ろうと思います

なぜ旅立とうと思ったのか

なぜ北海道だったのか

書き切るには時間が掛かりそうw


「第一話」へ続く


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ブログネタ
今まで食べた中で1番美味しかったもの に参加中!
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今まで食べたもので一番おいしかったのってなんだろう?

そう思いおこした時に記憶よみがえったのが

名古屋を拠点にする「台湾ラーメン」の元祖、味仙で出している

「辣肉醤麺(ラーロージャンメン)」でした。


「辣肉醤(ラーロージャン)」は、

醤油ベースのスープにニンニクや唐辛子で味付けしたピリ辛ミンチ肉で

味仙のオリジナル商品と言えるものです。

これをスープ入りのラーメンに載せたのが「台湾ラーメン」ですが

「辣肉醤麺(ラーロージャンメン)」は、それを載せたのではなく

炒め揚げて麺と絡めてあるので

そのパンチ力たるや、台湾ラーメンを食べたことのある方なら

想像できるかもしれません。

コク、旨みが高く、シビ辛。

昨年3月に出張で名古屋に行った際にはじめて食べました。

台湾ラーメンは何度も経験済みでしたが、

こちらも例に漏れず大汗をかいて食べました。

名古屋を訪れたらまた食べたい。

東京の新橋駅前に建ってる「ニュー新橋ビル」にも最近「味仙」が入ったので

やってるかどうか聞いてみよう。



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13歳の西矢椛が涙の金メダル

(Yahoo!ニュースより引用)


https://news.yahoo.co.jp/articles/8f009c1ea37074b27a608b0c38ae054cafe97ec8?tokyo2020



子決勝を昨日テレビで観たときは、少しばかり競技に対するひとつの違和感を覚えていましたが、このニュースを見たとき「ああ、やっぱりそうだよねー」と少しホッとしました。

何の話かと言うと「ヘルメット」の装着・・・。オリンピック種目になったのは今回が初めてで、ハーフパイプとかしか見たこと無かったので、オリンピック程の超メジャー大会で「ノーヘル」で「Airpods」を耳に突っ込んだまま競技に臨む選手(みんな一流なんだけど)たちを見て「え~っスケボー(競技)ってこうなのか?!」と少々面食らったのでした。


思えば、昔はアルペンスキーですら、ヘルメット被ってるのはダウンヒル(滑降)競技くらいで、大回転でもニット帽と言う時代がありました。
ツールドフランスのような自転車レースもそう。昨今は一般スキーヤーも一般スノーボーダーもヘルメットが浸透してきて、ロードバイクなんざヘルメット被ってない方がカッコ悪いと言われる感じ。
その理由がだいたいにおいて「命を落とすような事故」が背景にあるんだけど。


スケボーがオリンピックに進出した理由に「認知度向上」とか「社会への浸透」をもし挙げているなら、男子も最初からヘルメット被ればいいのになと思いました。




そういうところ、やっぱりIOCとかJOCって殿様商売のくせして「業界任せ」‥‥‥威厳が無いですよね。




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嫁がゴーヤと木綿豆腐と「ゴーヤチャンプルの素」を一昨晩買ってきて

「ゴーヤチャンプル食べたいから作って~」

と言い残して出勤していったのが昨日の朝の話。

当方、在宅勤務が続いていますが、炊事のほとんどを担ってる感じ。
いっそ主夫になりたいと思っている今日この頃ですが、
昨日夕刻になり、ハッと嫁の言葉を思い出したので、まずは
下ごしらえからスタートしました。

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豚小間肉を使ったり、ハムを使ったりと自由な「肉パート」ですが、
やはり沖縄料理らしく「スパム(ランチョンミート)」を使用しない
手はありません。

スパムを一口大に切り分け、木綿豆腐はキッチンペーパーで包んで
重石をしてしばらく放置、ゴーヤは種をとり、塩水で少しあく抜きを
したのち、砂糖小さじ1と塩少々をまぶして下味をつけるとともに
水分を少し抜きます。

ゴーヤチャンプルはゴーヤが主役ですが、脇役の豆腐もけっこう大事。
豆腐は、手でちぎれる程度にしっかり水抜きをして、フライパンの上で
焼き目が付く程度までしっかり炒めると、料理全体がベタベタせず、
食感のバランスもよくなります。特に、卵との相性が良くなりますね。
豆腐は炒める際に、軽く塩コショウをします。
味付けは自由ですが、スパムの塩気がけっこう強いのでほどほどに。

炒めあがった豆腐を一旦皿に取りだしたら、今度はゴーヤを炒めます。
砂糖と塩をまぶしたゴーヤからは水が出ますが、出た水だけ捨てて
洗わずそのままごま油で炒めます。これで、程よい苦みとうまみが
残ります。

ゴーヤは白い部分が透き通る程度まで火を通したのち、先ほどの豆腐と
同じ皿によけて、最後にスパムを焼きます。
スパム自体に油分がたくさん入ってるので、フライパンは負い油不要。
お好みの焼き目が付くまで火にかけます。
スパムに焼き目が付いたら、ゴーヤと豆腐をフライパンに戻し、
軽く混ぜた後、溶き卵を回し入れて15秒…少しかたまりが出来たら
中火のまま何度かフライパンを返して出来上がりです。


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ゴーヤと豆腐とスパムをバランス良く取って一緒に食べるのが〇。

出来てから気づきました。

「ゴーヤチャンプルの素」を使うのを忘れていました(笑。

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出社ついでに「マイナンバーカード」受け取ってきたのですが「えっ!?」と思ったことが何点か…。
①予約が取れなくて、駅近くの出張所やめて区役所別館までバスで来たのに、予約してなくても受け取れた、と言う事実。もちろん予約優先だけど、自分も予約時刻より先に手続きできた。予約人数の上限とマンパワーが不釣り合いだ。
②用意して行った暗証番号が登録できなかった。8桁の大文字小文字混じりの英数字を考えていたけど、大文字小文字は関係ないらしい。でも2種類の設定が必要。
③受け取り証書が紙だった。全て手書き。
考えてみれば、サラリーマンですら完全なITリテラシーが整っているわけではないし、ましてや一部の高齢者の方々にデジタルはやっぱり不向き。手続きするスタッフが手間取ってるくらいだし。
ダイジョブかなぁ…日本。IMG_20210604_115849


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辛い料理は好きです。ずっと昔から。
以前は、自分でも辛いおかずやカレーなどよく作ってたのですが
如何せん嫁が辛いのが苦手なのと、子供が食べられない。
ということで、辛いのを楽しむステージは、ほぼほぼ外食になり
在宅ワークが増えたこともあり、冷食などもよく食べるようになりました。
それでも、常識的な割合ですけど。

ここ1年で食べたものを振り返ってみました。
昼食で食べる「辛ラーメン」や、宮崎の「辛辛麺」、レトルトカレーの「Lee」等々
はここでは省きました。

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KALDIとかで買える「スータイ パッキーオ」
(激辛バジル焼きそば)です。
麺は自分でゆでて、好きな具材と一緒に炒めて
ソースで仕上げますが、最後に振りかける
とうがらしがさわやかで刺激的な辛さを演出。


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カップ麺の「元祖 ニュータンタンメン」。
とうがらしの辛みが強いほかは特色なし。
また食べたいとはあまりならないかな。

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東京汐留ビルディングに入ってるタイ料理屋の「トムヤム混ぜそば」です。
パクチー好きな方はハマると思います。
激辛とまではいかない「適切」な辛さなので、
ボクは「追いとうがらし」で強化。

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(2021年5月)現在出ている「北極焼きそば」の前のモデル。
こちらもまあまあ辛いですが、
日清の焼きそばは麺が美味しいですね。


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冷凍食品のカレー味蒙古タンメン。
ホント最近の冷凍食品は良くできてると
言う感じの逸品です。
カレー味ってのも良い。


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バーミヤンの「ビャンビャン麺」。
これも激辛の部類に入れていいと思います。
蒙古タンメンなどと比べてはいけませんが、
ちょっと変わった味で、辛いです。


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ご存じ蒙古タンメン中本のお店で食べる
「蒙古タンメン」です。
標準の5辛。定食セットとなる麻婆豆腐と
ライスを付けておなか一杯。
蒙古タンメンはホント、美味しい。
辛さの中に野菜の甘み、スープのうまみを
感じます。

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変わり種「サッポロ一番みそラーメン」の
七味7倍バージョン。
八幡屋磯五郎や薬研堀の七味とも違う、
独自配合の七味は、ミソスープにマッチ。

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ローソンの「からあげクン"Red"」。
にんにくが効いたスパイシーな一品。
ビールとよく合います。

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勤め先の本社が引っ越した東京竹芝のビル内に出来た「ど・みそ」というラーメン屋さんの「味噌オロチョン」。
辛さは3種類から選べますが、「ふつう」「激辛」「ファイヤー」と段階が荒すぎてコワかったので「激辛」を。
シビ辛系。
チャーシューや麺は美味しいです。スープもなかなかの美味。


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そして最近の激辛カップ焼きそば2種。
「蒙古タンメン中本 北極焼きそば」は
モチモチな麺と旨辛ソース。
「ペヤング焼きそば 獄激辛淡々」はもう、
激辛ではなく”劇薬”です(笑。

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野崎のコンビーフが、缶詰用缶を作る機械の老朽化で、
プラスチック容器にモデルチェンジして久しいです。
あのクルクルはもう出会えないのだろうか?

最近は普通の缶詰もプルタブひとつで開けられる
形になり、手軽さと引き換えに、開ける楽しさが
無くなってしまったような気がしています。

でも、まだありました!

TULIPブランドのランチョンミート!
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ランチョンミートは缶きりで開けるとたぶん
中身が取り出せないでしょう。
かつてのコンビーフのように
クルクルクルクルクルクルクルクル…

楽しい。

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これで作るおかずはたいてい、
ポーク卵です(笑)



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オイルランプのほのかなにおいと
やわらかい光が好きです。

オイルランプばかり9つも持ってますが
ケースには収めず
バルコニーの雨の当たらない棚に置いてます

少しずつ 少しずつ サビが出てきます。
熱で焼ける場所から順に
でもそのままにしておくと朽ちてしまいます。

朽ちぬよう 壊さぬよう
ゆっくりとエイジングしたランプは

重厚感もありますが、とてもなごみます。

こんなランプたちに灯を点し
ビールを飲むのがボクのリラックス法です。

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グループ総帥からの「年頭のあいさつ」に続き、執行役員が次々にショートコメントを会社イントラページに載せてるのですが、今年はなんだか「4字熟語」が流行っているらしく、中には難しい4字熟語・・・これはもう漢文といったほうが早いやつまで出揃いました。

その中でも「これ使ったことない」といった4字熟語に、書いた人の役職を並べてみたところ、なるほどその役割に相応しいようなやつを持ってきてるのね。偉いわみんなと思った次第(笑。

「不撓不屈(ふとうふくつ)」・・・苦労や困難があっても決して諦めることがないこと。「不撓」は心が折れないこと。「撓」は固いものが強い力で曲がるという意味。「不屈」は屈しないこと。(最高執行責任者 = COO)

「泰然自若(たいぜんじじゃく)」・・・落ち着いていてどんなことにも動じないさま。「泰然」は落ち着いて物事に動じないさま。「自若」は何に対してもあわてず、驚かず、落ち着いているさま。(最高財務責任者 = CFO)

「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」・・・・将来の成功を期して苦労に耐えること。薪の上に寝て苦いきもをなめる意から。「臥」はふし寝る意。「薪」はたきぎ。「嘗」はなめること。「胆」は苦いきも。(最高技術責任者 = CTO)

「和衷協同(わちゅうきょうどう)」・・・心を同じくして共に力を合わせ、仕事や作業に当たること。「和衷」は心の底からなごみ和らぐこと。また、心を同じくすること。「協同」は力を合わせて物事を行うこと。(最高情報責任者 = CIO)


でも、ぜんぶ真に受けたら、死んでしまうわ・・・。
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 ラジコンの送受信機や、IoTデバイス、有機ELディスプレイを開発・製造する「双葉電子工業」が、携帯電話キャリアとの産業用ドローン共同開発というイマドキなニュースの陰で、フタバのルーツともいえる秋葉原の岩本町に開いていたホビーラジコンショップの解散閉店を発表しました。

 「双葉電子工業」は1948年に設立、1961年には秋葉原万世橋に店舗を開業、そのころ、ほとんどが海外製品だったホビーラジコンを日本で広めるベースを作り、その後、店舗事業として「フタバ産業」を1972年に独立させました。その頃のアキバは今と異なり「秋葉原電気街」は「ラジオセンター」を代表とする、家電などの電気製品はもとより、電子部品などを売る個人商店が乱立、双葉電子工業がラジコンショップを開業するための”必然”が揃っていた街でした。

 筆者は1970年生まれ。たくさんの思い出を残した名だたるアキバのラジコンショップが誕生したのと同じくらいに生まれたのです。1980年代の秋葉原は、LAOXやサトームセン、石丸電気といったメインどころに交じって、アマチュア無線関連商品とラジコンが同じフロアに並ぶ「角田エックスワン」や飛行機関連パーツが豊富な「アサミ」、バギーチャンピオンの尾上選手がいた、ヨコモのターボパワーバッテリーをバンバン売ってた「ジョイプラザ」が良い距離を保って中央通りを挟んで佇み、時に歩行者天国の路上でラジコン大会が行われるほど賑わいを見せていました。

 初めてのホビーラジコンをお年玉握りしめて買いに行った中1の冬、そんな昔でもやっぱり、ラジコンパーツやネジ類は”どこでも入手できる代物ではなく、インターネットが普及していなかった時代なので、電車に乗ってアキバへ出ないと買えないものばかり。しかし、タミヤの製品だけは、プラモデルつながりで一部、近所の模型屋さんで入手することが出来ていました。

「おもちゃのキリン」とは、地元のJR高架下にあった2階建てのホビーショップです。1階がぬいぐるみや幼児向け玩具がメインの売り場、階段を上っての2階が、豊富なプラモデルと少々のラジコンパーツを扱う売り場で、中学時代はいつもそこで屯(たむろ)していました。1978年頃のガンプラブームの時には、早朝から長蛇の列ができるような店舗でしたが、駅前に建て替わったイトーヨーカドーにおもちゃ売り場が出来ると、売り上げが逓減し、デジタルゲームブームや携帯電話やスマホの普及に流されるように、2000年代初頭にその幕を閉じました。

その頃に乱立を始めたゲームソフト/ハードを売るショップも、TSUTAYAやGEOの台頭や、家電量販店の進出により衰退、少年から大人までのホビーは劇的に多様化していきました。

秋葉原は、ジョイプラザ、エックスワン、アサミのあとを追うように、洛成モデルやチャンプなどもどんどん撤退していきました。もはやアキバは電気街ではないですね。そして今回のフタバの閉店。まだ、タムタムやスーパーラジコンが残っていますが、ネットで買えないものはないという時代。固定化多店舗の優位性は既に失われています。

アキバのフタバは来年3月で終わります。60年の長きにわたり、ラジコン少年の夢を支えてくれた世界のFUTABAに敬意を表するとともに、この素晴らしいホビーがもっと盛り上がればいいのにと思わずにはいられません。

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「広辞苑」の第7版が刊行されたのはもう2年前ですが、そのときのキャッチコピーが面白くて「ことばは、自由だ」だったんですよね。言葉の意味を知りたくて、電子辞書やらウィキペディアやらを調べる、あるいは「ググる」のが近年の通例なのですが、その代表格と言える広辞苑が「自由だ」と言い放ってしまうところが楽しいわけです。

真意は別のところにあって、それだけ広辞苑という辞典が懐が深くて、というところになるのですが、今はインターネットが普遍的なものになってから四半世紀が経とうとしている時代。Facebookに「いいね!」が付いたりInstagramのシェア数が多いほど、”この世のもの”として正しいもののように捉えられがちになってきているのも事実です。 ネットでは、語源・・・本来、というか元来の意味(言葉が生まれたときに授けられている、その言葉を説明する意味)そっちのけで、民主主義よろしく「どっちの使われ方が正しい」の激しい議論が繰り広げられている言葉が少なくありません。このような事象を見ても、それを解説する「広辞苑」の「ことばは、自由だ」の意味がより理解できるのですが、それにしてもインターネットというフィールドの自由なことか・・・とある意味感心してしまうのです。

ネットでアツイ議論が繰り広げられた言葉・・・「壁ドン」や「魔改造」・・特に「魔改造」は、ほぼ国営放送であるNHKが番組名に使用し「魔改造」の元来の意味とは異なる説明を全世界にブロードキャストしてしまったことで物議を醸していました。NHKがやっちゃうと、それはもう、プロデューサーのセンスではなく「情報統制」に似たものとなってしまい、民主主義をぶち壊しかねません。だからNHKは嫌われるのです(笑。

本当はそういう意味ではない・・・つまり「誤用」されている言葉も、多くの人がそのような「誤用」を繰り返すあまり「誤用」が一般化してしまっているが為に、意味が変わっている言葉もあります。なぜなら、言葉そのものがひとつの「コミュニケーションツール」だからに他ならないからです。多数決ではないですが、より多くの人々が使う言葉は「昔はこういう意味だった」というのは既に意味を持たず、今多くの人が使う意味合いの方がより重要だといえるからです。ただ自身が、予てから長らく使ってきた言葉の意味が、自身とは異なる世代の人々によって覆されるのは、なかなか納得がいかないかもしれません。でもそれも「ジェネレーションギャップ」なのだと思います。

「言葉の壁」というと少々大げさですが、自身の既成概念では受け入れがたいものの一つが「言葉の壁」です。しかしながら、向こうの人が日常普通に使ってるからその言葉を使うのも普通・・と思えば、外国語も受け入れやすいというのは事実です。なかなか憶えるのは大変ですが、新しい言葉、若者(死語)の言葉も、難しく考えず意固地にならず・・なら、受け入れるのも優しいかもしれません。ただ、無理して使う必要もありませんが(笑。



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今、「餃子」をググるとやたらうるさい記事ばかりが目立ちます。例の騒動のことです。

(Web文中より引用)
そのときの内容は“尾道の数字から始まる名前の某餃子店。美味しそうだな、と思って三名で来店。私はしてたけど、1人マスクしてなく、来店したらマスク着用でないと入店できない、と言われ(中略)「ウチはマスクしてないと入店できないんです」の一点張りで話が先に進まない”というものだった。
(引用終わり。引用元:https://news.nicovideo.jp/watch/nw8239419)


美味しそうだと来店した店の店主に、最後は「めんどくせえから帰れ」とも言われたそうですが真意は分かりません。しかしながら、そんな話の顛末はどうでもよいことです。

このコロナ禍特有の話題としては「入店の際にマスク着用を義務付ける」というものがありますが、マスク着用を強いることも、マスクを着けていない来客を拒むことも、法的には何の問題もないし「いつまでつけてれば良いんだ?」というのも単なる屁理屈でしかない。この話は単に、お客様の質問に対してめんどくさがって説明をしない店主と、大人げないお客の話というだけです。


そんな(子どもの喧嘩のような)話ですから、外野はただ面白がるだけなのですが、その話題をとある人がFaceBookで共有した途端、あわや一触即発の事態にということが起こりました。
大多数の方がコメントで「大人げないねー」とか「別の言い方があったんじゃないの?」程度でなごんでいたのですが、とある方が投稿者に対し

「ところで、マスクの効果をどれだけ信じていますか?」

と切り込んできたのです。

前述の騒動には一切関係ない話題です。投稿者はもちろん「関係ないよね?」と返しました。すると、

「事の発端はマスク非着用にあるのに、マスクが関係ない理由を説明しろ」

と返して来たのです。これはもはや極右です。
しかも、よく見たら、自身のfacebook投稿でも、ものすごく危険なコメントを書き込んで来ていた方でした。(その後すぐにブロックしました)


当人は、マスクの是非も含めて、この騒動どちらが悪いか白黒はっきりさせたかったらしいのです。
もちろん、その当人目線でどちらが悪いかはっきりしたところで(当人以外)何の解決にもならないのですが、おそらく「マスク原理主義」を掲げてマウントを取りたかったのだと思います。そんな、自分の都合や主義を人に押し付けたがる人が世の中にはたくさんいて、SNSで主張し、勝手に紛争が始まるような世の中になってしまいました。これまではそんな主張をまき散らすようなこともなかったような人々が、SNSという道具の間違った使い方で、自己満足を得ているのだと思います。


ところで、その極右の方へ

「ホリ●モンはマスクをして店主とひと悶着あったみたいですよ」

と返信したら

「あ、じゃあ、悪いのは店ですね」

だとさ。

その方のFaceBookページでは、この話題のTVキャスターの発言に対して「ちゃんと調べてから発言しろよ」と怒号のコメントを描いていた人なんですけど。恐ろしい(笑。



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ノンアルビール論争が再燃「ペット入り透明」なら職場OK?

(ニュースより引用)
サントリービールが、「職場でも気兼ねなく」をテーマに開発したノンアルコールビールテイスト飲料を発売する。ペットボトル容器入りで、小麦色ではなく「無色透明」になっている。
やはりというべきか、この新商品をめぐってインターネット上では、オフィスでのノンアルコールビールの「是非」をめぐる議論が再燃。「何が問題なの?」というアリ派と、「ありえない」というナシ派が、互いの意見を熱くぶつけあっているのだ。
(飲用終わり)

ニュースのソース:
https://www.j-cast.com/2018/05/11328399.html


無色透明のノンアルコール飲料についてどうこう言う前に、そもそも「ノンアルコール飲料」と呼ばれる類(たぐい)の”清涼飲料水”についておさらいしておかなければなりません。
「ノンアルコール飲料が”清涼飲料水”だと?」と思われる方もいると思いますが、日本の法律では、アルコール含有量1%未満であれば清涼飲料水の扱いで、未成年でも飲むことが法的に許されています。ビールテイスト飲料にばかりが注目されがちですが、あの「甘酒」は、アルコール含有量が8%もある”酒粕”を原料とした飲料で、出来上がりでも1%程度のアルコールが残っている(実際には熱でアルコール分が飛んでいるので殆どアルコールの味は感じない)らしいのです。つまりは、ビールテイストのノンアル製品、チューハイテイストのノンアル製品、他すべては法律上も「清涼飲料水」であって、未成年が飲んでも違法ではありません。
しかしながら、アルコールが0.5%であっても、当初の日本政府の方針は「未成年には販売しない」指導がメーカーになされていました。(甘酒はなぜOK?という話は別として)…真意は不明ですが、未成年(それも低年齢)者が大量に摂取した場合の健康への懸念のほかに、ホンモノと区別がつきにくいという理由からでは無いでしょうか?
このような「ダブルスタンダード」を作るのは日本政府の昔からの悪い癖ですが、そもそもが、古くからの日本人の性質というか文化というか、そのようなところから冒頭の議論が形成されているような気がしてなりません。

「職場でアルコールを飲むことは・・・・」という話になっている時点で「?」が付いてしまいますね。本来なら「仕事中にアルコールを・・・・」のはずです。それ以前に、なぜ「アルコールが(仕事中に)ダメ」なのかも議論せずに。仕事のために飲んでいる人もいるのに。
これは「お酒を飲む」ことが「仕事から離脱すること」と同義で語られているからに他なりません。だいたい合ってると思いますが、これは昨今の「在宅ワークは仕事がはかどらない」というのと同じような気がします。
緊急事態宣言後、大々的に「外出自粛」や「在宅ワークの強い推奨」を謳われてきたにも関わらず、相変わらず理由をつけて出社し続ける(出社が多い)社員を見たことがあると思いますが、そのような人たちにとっては「出社」そのものが「仕事」になっているので、「仕事中」に、他の誰かが「酒を飲んでいる」ことは許せないわけです。しかし組織トップの大号令があればそのタガが簡単に外れてしまいます。納会が良い例です。その人にとっても「職場での飲酒」が絶対NGであるわけではなく「自分が仕事(出社)している」のに「誰かが(ノンアルでも)酒を飲んでいる」ことを許せないのです。

これで結論が出ました。ノンアルコール飲料へのバッシングは、自分が(どんな環境下であれ)しっかりと仕事をこなしてると断言できない人の「責任転嫁」です。(笑

ともあれ、仕事をきっちりと片づけてから飲んだほうがおいしいに決まってます。

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2020年も2月の下旬、春の兆しが見え始めたころ、筆者が所属する会社スキー部メンバーの一人が、メンバーのグループLINEにこう投げました。

「こういう時は「人の集まる所」に参加するのは社会人としてどうかと思いますので不参加でお願いします。」

アルペンスキー競技という「割と高尚な」スポーツの趣味を持つ仲間のSNSへの投稿としては、少々高圧的なコメントにも思えましたが、彼の発言は至極真っ当でもありました。

毎シーズンの恒例で、社会人競技スキーチーム(実業団ではありません)とそのメンバーが数多く集う”ガチ”競技イベントの開催をめぐり、今年ばかりはその議論が大いに揺れていたようです。日本が令和になって初めての世界的な感染症の蔓延で、世界各国が独自に対応策を打ち出すなかで日本はずいぶんと中途半端な政府としての指示を出し、もはや行政レベルではなく、事業者や地方自治体や団体というレベルで独自判断を迫られていたからです。

こうなると、企業体力の大きい…言うなれば、大きな組織を抱え内外に影響力の大きい企業や団体ほど慎重姿勢にならざるを得ず、よりセンシティブな問題と捉えるようになります。その傾向は如実に表れていました。あたりまえのことですが、動員される人の数や、準備期間の長さ、直前にキャンセルした場合の無駄になるヒトモノカネの大きさによって判断が分かれたのです。

これは、当該の競技スキー大会の運営主体の中にも現れていたようです。
日本アルペンスキー界における本丸とも言える「全日本スキー連盟」は早々に3月22日(3連休の最終日)までのあらゆる大会、イベントの中止を告知しましたが、それでも当該運営は決め切れていなかったようです。理由は簡単で、前述の通り、クラブチームや会社組織そのものの大小で意見が異なったからでした。また、大会を取りやめにした時の、毎年のように御世話になっているスキー場や宿泊施設への利益供与の問題もありました。大会規模を縮小したり、宿泊先を分散させたりと言った回避策は、例年のやり方からしてとても採り辛かったのだろうと思います。

もしここで「参加は会社(チーム毎)の判断に委ねる」となったらどうだったでしょうか?チームの中では個人の都合によって参加不参加を調整するだけの話ですが。

おそらく、不参加とするチームは居なかったのだろうと思います。だからこそ、大会中止という英断をせざるを得なかったのだと思いますが、世界を取り巻く状況を考えれば、答えは初めから見えていたと思います。

その直後「大会バーンを利用したレーシングキャンプ」の参加者募集が始りました。
よく言えば、突然の大会中止に悩む場所や宿への不利益を減らすための回避策であうが、悪く言えば、運営主体が大会をやめたという体裁をとりつつ、万が一に備えて逃げ道を作ったとも言えます。運営主体は参加チーム各社から代表を募り、開催の是非などを決める団体です。大会中止を大義名分としながら、そこに集まる参加者は大会参加予定者となるわけで、万が一のことがあれば、犯人探しが始まることは容易に想像がつきます。

かつてのアメフト悪質タックル問題ではないですが、問題が表沙汰になるまで誰しも異論を唱えないという、旧態依然な体育会系的体質、あるいは、そのような世界で過ごしてきた人たちの特質的な部分もあるかも知れません。イベントを行うにも止めるにも計り知れない準備や労力が必要なのもよく理解できますが、せめて非常事態レベルのこの時くらいは、正義を振りかざしてもいいような気がします。


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死ぬのは5人か、1人か…授業で「トロッコ問題」 岩国の小中学校が保護者に謝罪
(2019/9/29 毎日新聞webニュースより引用)
https://mainichi.jp/articles/20190929/k00/00m/040/044000c?inb=ys

山口県の小中学校で、いわゆる「トロッコ問題」を資料にした授業があり、保護者からクレームが起こったという話です。授業は、選択に困ったり、不安を感じたりした場合に、周りに助けを求めることの大切さを知ってもらうのが狙いだったようですが、端的に言うと「5人を殺すか?1人を殺すか?」の選択を求める問題であって、授業を受けた子供たちは、この部分に不安を感じ、自分の親に話をしたのでしょう。

「心の専門家」であるスクールカウンセラーが授業を行ったとのことですが、何人もの児童が心の不安を訴える等の状況になることを予め理解できなかったとすると、単にカウンセラーの技量の問題となってしまうわけですが、それよりも「物言い」の保護者は、文句は言うけど「では、どんな授業なら倫理観の勉強になるのか?」は言っていないでしょう。全然建設的ではないですね。

筆者なら、こうします。
①作業員を軽自動車とバスに置き換えて、踏切で立ち往生していることにする。
②「トロッコ問題」では選択できない別の選択肢を採れるようにする。

①は「生身の人間」を「自動車」にすることで「確実に死ぬ」という想像から「怪我をしてしまうかも知れない」に和らげられるのと、実際に同様のことが目の前で起きた時の正しい行動(非常列車停止ボタンを押す)を教えることが出来ます。②は逃れられない現実で心を不安にするよりは、空想等で逃げられるようにすることで、ハートが弱い子供にも優しい問題となります。

「批判はすれど対案は示さず」は「事なかれ主義」な方々の最たる特徴と言えます。つまり「事なかれ主義」は「倫理観」を教えられないということです。小学校でどこまで倫理観を教えるのか?という課題は別にあるとしても、正しい大人になるためには必要なスキルです。

また「事なかれ主義」な方々が多い日本はいま、窮地に立たされています。それが「AI(人工知能)」です。アメリカだけでなく、もはや中国にも置いてけぼりを食らっています。「トロッコ問題」を出すことそのものに文句を言うだけで対案を示さないので、AIがどんな選択を出すかに恐怖するだけで「AIは危険だ」として開発を進めないからです。

巷には、まさに「トロッコ問題」を人間に解かせ、その結果を収集するプラットフォームがあります。「MORAL MACHINE(モラルマシン)」というWebサイトです。
http://moralmachine.mit.edu/hl/
(日本語ページもあります)

AIは機械学習により適正な判断を下すようにしていく必要がありますが、このWebサイトは機械学習用データベースそのものです。事なかれ主義な方々は、このプラットフォームによってデータ蓄積され、機械学習が進んだAIが運転するロボットカーの決断をどう捉えるでしょうか?「あなたの意見ではなく、無数の一般の人間のティピカル(典型的)な判断だ。」と言われても、やはり「AIは危険だ」と言うのでしょうか?

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「年賀状終活」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191214-00014886-toushin-life

今年もそろそろやらないと、と思った矢先に、叔母(実父の姉)が亡くなりました。どこへでも出かける元気な叔母でしたが、脚を悪くしてから衰えが急速に進み、92年の人生に幕を閉じました。

これにより、今年の年賀状は無しに。そんな時にこの記事を見つけました。

自分も、年賀状のほかに交流のある相手が、出してる年賀状全数の3分の1くらいになっており、残りの3分の2は「ただ出してるだけ」になってしまってます。既に学校の同級生との年賀状はおしまい(公私ともに交流のある人を除く)で、社会人になってから交わすようになった人も(Facebook等のSNSへの誘導を促していても)年賀状以外はさっぱりという人もいます。

年賀状の終了宣言としての手紙に対し、

「寂しい気持ちになるので、せめて寒中見舞いとして送ってほしい」

というのが最も真っ当な意見のように思えます。ただ、これは、年賀状だけに留まらず、日ごろからコミュニケーションのある人たちが初めて感じるものではないかと思います。ほかの意見では、

「正月早々、縁切り状をもらうのは不快」
「フェードアウトのほうがいい」

というのがあったようですが、前者の場合は、日ごろから交流も殆どなく、自ら挨拶にもいかないような人が、上から目線で言っているようにしか読めません。一方で後者は、自分の気持ちが出ているようにも感じます。

「驚いたことに、「年賀状を今年いっぱいでやめたい人」向けの文例集が、年賀状の外注業者のサイトに載っていたりもします。」には少々驚きだが、これも時代の流れなんでしょうね。

日本における年賀状の歴史は古く、起源ははっきりしないが、平安時代までさかのぼる独特の風習だそうです。ただこれも、「基本は年始のあいさつ回り」の風習に先にある「遠方でなかなか挨拶に行けない人への手紙」として定着を開始しているようです。それが戦後、一般化し、1949年(昭和24年)に「お年玉付き年賀はがき」が初めて登場します。筆者の小学生や中学生のころは年賀状製作は当たり前の年末イベントでした。

しかしこれがミレニアム(2000年)のころを境に、状況が一変します。SNSです。郵便局はこのSNSの普及を第一に「年賀状(を筆頭とした手紙)」の衰退を言っていますが、それ以上に、情報セキュリティ(というか個人情報)の厳格化の影響が大きいと思います。昔は卒業アルバムに卒業生の住所が書かれるのが当たり前だった時代がありますが、今はもうそんな時代じゃありません。

SNSへの投稿や年始あいさつは、平安時代くらいに起こった風習の現代版であって、時代が変わっただけの話かもしれません。そこにきて「年賀状終活」は、一種のパラダイムシフトの副産物と言えるのではないでしょうか。

「答えは自分の中にある」
よくありがちな言葉であり、名言でもあるようで。

でも仮に、自分の中にあった答えに気づいたとして、
それをうまく引き出せるかまた、別の話。

ただ「誰かに背中を押して欲しい」という気持ちが
何処かにある。でも、別に誰かのせいにしたい
訳ではない。

端的に言えば「失敗を恐れてる」のだと思う。

自分は最近、
自分が思った通り行動するよう心掛けてきた。
でもその反面「それがうまく行ったのか」という
フィードバックが出来ていないことにもまた、
気づいた。

もう、目標設定が曖昧過ぎてる。
言い換えると、目標設定の時点でビビり、自己実現の
行先を曖昧にしているだけだ。

そもそも、何もかもうまく行ったことなんて
一つもないのに、やれ経験則だの、やれ防衛本能だの
色々な御託を並べて「無謀じゃない自分」を
装ってるに過ぎないのかもしれない。

「冒険」なんて言葉を使っているうちは
本当の冒険なんてしていない。

まずは、何も躊躇せずに思った通りに動いてみよう。
問題が起きたら、都度対応してみよう。

そうすれば、いずれ引き出せる。
「答えは自分の中にある」はずだから。

でも…
やっぱり誰かに背中を押して欲しいと思う。

「えっ?セカオワ知らないんですか?」と、会社の某同僚の言葉。
「セカオワは知ってるけど、曲のことはよくわかんない。」
「曲を知らないってのは、セカオワを知らないのと同じですよ。」

特に腹は立たなかったが、確かにすすんで聴いたこともなかった。
というか、FMラジオでその存在を耳にした途端、「世界の終わり」(漢字で書くとやばいな)??…どこかの宗教団体か、サイコ集団、もしくはテロリストだろうと思った。歌も変な歌を歌ってる。それにしても最近、変わったグループ名が多いよな。って。

まあ、変なグループ名と言えば、「スキマスイッチ」「スネオヘアー」「ゲス(以下略)」などなど。ずっと昔になってしまったが、「聖飢魔II」というバンド名が至極妥当に感じられる。

で、YOUTUBEで聞かされた"セカオワ"の曲のなかで、「dragon night」の英語バージョンがある。PVの中身はさておいて、全然違和感がない曲。違和感がない、と言うのは、最初から英語の歌詞で作られたような、と言う意味。後から通常の日本語版を聴いたけど、英語版の方がはるかに良いと思った。

かと言って、CD買ってまで聞きたいと言う曲でもない。
昨今は、CDの全曲を試聴できる環境がお店にもネットにも整っていて、「他にどんな曲が入ってるのか楽しみ」で買うことが無くなってしまった。試聴してみて、1曲でも気に入らない曲があると、CDそのものを買う意欲が削がれてしまう感覚だ。

逆のこともある。
全くのノーマークだったアーティストのアルバムリリースをYOUTUBEで知り、興味をそそられてCD購入に至るケースもある。
結局は、映像の良し悪しで印象が決まってしまう感もある。

グループ名もまた然りだが…。

http://k-tai.impress.co.jp/docs/news/20160511_756145.html

VoLTEという技術があって、昨年発売のiPhone6や、Android端末で採用され始めた、「LTEに接続したまま」音声通話を行う仕組みだ。それまでは、データ通信は速く効率の高いLTEでやらせて、電話(音声通話)をしようとすると、CSフォールバックという仕組みを用いて、旧来の3G(W-CDMA)に回線を切り替えていた。
実際には、HD Voiceというものを3Gにも適用して、VoLTEもHD Voiceもどちらも高音質でほとんど区別がつかないくらいなのだが、そのVoLTEやHD Voiceを超える超広帯域の音声通話を実現するのが、今回のDoCoMoの技術というわけ。そのうち、auやソフトバンクも追随するだろう。

この記事に対して、入社2年目の女の子が「電話の音に高音質って、そんなに必要なんですか?」みたいなことを口走った。
おおむね20代や30代前半の若手社員は「そうだなー」的な反応を示してはいたけど・・・。内心可笑しくて笑ってしまった。
イマドキの若い子って、ホント知らないんだね。電話の本当の魅力を。

知らないのもある意味、致し方無いのかも知れない。
今の20代って、ほぼ「平成生まれ」だ。ということは、生まれたとき既に「携帯電話」が世に合って、そのころ女子高生の間で流行っていた「ポケベル」すら記憶に無いだろう。お水系のお姉ちゃんの間で「お得意様の管理」で真価を発揮していた「写メール」が爆発的にヒットしていた頃に、ようやく小学校に上がったくらいで、実際に中学生や高校生ときに、既に携帯電話を持っていた世代である。ああ恐ろしい。

そんなことだから、家の「固定電話」で友人や恋人と話をしたこともないのだろうと思う。
かく言う筆者が個人の携帯電話を持つきっかけは、社内の人にバレずに隠密行動を取らざるを得ない「転職活動」だったわけだし。

話を戻すと、イマドキの若い子は電話することに興味が無いわけではなく、電話の音質がどうこうということに興味が無いのだろうと思う。しかしそれは、あまりにも勿体ない話だ。

例えば「音楽を聴く」ということにフォーカスすると、最近では、レコードのブームが再燃していたりしているが、音楽マニアの世界では既に「ハイレゾ」である。
レコードブームの方は「ジャケットがかわいい」とか「針を落とす、という手間が」とか言う人たちによるものだが、音質を追及すると、もう「デジタルリマスター」か「ハイレゾ」しか無いと言っていい。
にも関わらず、電話の音質には興味が無いのだろうか?

筆者の青春時代(死語)には、電話の音声品質は大したことがなかった。というか、LINEすら無い時代だったわけで、デートの別れ際には「○○時○○分に電話するから」と言って別れたものだ。
そして夜な夜な、着信のベルを鳴らして両親や兄弟が目覚めないよう細心の注意を払って電話を掛けたり受けたりしたものだった。
そんな時代でも、電話線を通じて感じ取れる「つながっている感」があった。お互い黙って、沈黙の時間が流れても、電話の先に相手が居て、同じ時間の中にいるという感覚があった。

これが、高音質/広帯域であればあるほど、相手の息遣い、スマホを持ち替えた時の、二の腕に袖が擦れる音、足を組み替える音、椅子のきしむ音、その場の空気感までが音として伝わってくる。
電話してるのだから、聴く側は耳に神経を集中している。だから尚更よく伝わる。狭帯域のアナログ音声通話の時だって、お互いに黙っている時間すら「つながり」を感じられたのだから、それが超高音質なら、目を閉じれば、隣に相手が居るような錯覚を覚えるだろう。

音質の悪い「LINE電話」はダメです。
電話もぜひ、高音質で。

電話って、録音でもしない限り、その夜に話したことは二人だけの秘密のように心の中だけに残るもの。
みんなスマホ持ってるんだから、電話しようよ。

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